老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

街道をゆく うだつの町

2015-08-29 23:32:45 | 俳句
司馬遼太郎の阿波紀行が書かれてから もう27年にもなるのだ。
うだつの町は、今では、徳島県の西阿波の観光地になっている。
電柱は地下に埋められている。明治かそれより古い町の景色がかもしだされている。



南町の通りをぶらぶらした。どの民家も、重厚な うだつ があがている。



中世の日本語のなかに「町衆」といういいことばがある。
町においてその町域での自治権をもつ人達のことである。、、、、、、、

亰での町衆は、祇園会(祗園祭)などを運営し堺での町衆は、守護からその独立を守るために自衛力さえもっていた。
そのような :町衆: の栄光は、戦後の地方自治体にひきつがれてもよいものであったが、戦後の多くの都市は流入人口が多くて容易には継承できなかった。
ひょとすると、この脇町こそその栄光を継承している町ではないかと思ったりした。

瓦と格子造りの表構えが、なんともいえず結構である。二階はシックイで白くふちどりした虫籠窓が、二つならんでいる。それを見ながら、一室の前を通りすぎるとき、その部屋に、数人の :町衆: らしい品格の人たちが、協議しているのを見た。その寄合風景がなんともよくて、そとからガラスごしに不作法ながらながめていると、どうぞということで、招じいれてもらった。話がないまま
「いい町ですね」
というと、どなたも、だまって頭をさげられた。まことに品のいい :町衆: の感じである。



この脇町なら、ヨーロッパの古い町にくらべても、構造物の厚みや界隈としての造形性おいてひけをとらないないのではないか。
どの民家も、古さが孤立しておらず、中町も南町も他の小路も、面として保存されている。




もう一つ感心すらのは、それらの古い町並があたらしい図書館、中学校、あるいは民間のスーパー・ストアーといった新築の建物とよく調和し、全体として都市造形をかたちづくっていることである。

以上 司馬遼太郎さんの うだつの町脇町の文章を抜粋した。
脇町は、いい町である。


    しりとり俳句から生まれた句
        夫がゐて吾れゐて猫ゐる秋の暮
        真葛原狐の嫁入り通りけり
        旅土産朴の落葉とお六櫛
        秋想ふ作り手に似し人形の顔

         オソマツ
        






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夏の疲れ

2015-08-29 17:40:11 | 俳句

何にもする気ない。
美術館へ行ったが。。。

昨日のしりとり俳句から。

新しいページ のしり取り俳句にお邪魔した。
阿波弁の (ほなけんどしり取り俳句)
「ほなけんど」は「そうは言っても」「しかしながら」「でも」 そんなニュアンスかな。

  爽やかな風新しき門出かな    挨拶句である。挨拶は通じる相手が限られる。
  
  畑収め秋の遍路に発たんかな   秋 を繋ぐ
  珠と光れり盆栽の姫林檎     盆 を繋ぐ
  置床や投げ入れありぬ青い栗   青栗 を繋ぐ
  玉垣に沿ひ萩の咲く径かな    萩 を繋ぐ
  西瓜喰ひ散らすにつくき烏かな  西瓜 を繋ぐ
  水澄むや鑿の痕ある手水鉢    水澄む を繋ぐ
  風呂敷を解けばくずれる梨の山  解く を繋ぐ
  異邦人ごと故郷や秋の草     秋の草 を繋ぐ
  色の無き風魚鼓の腹打ちにけり  色 を繋ぐ
  律の風水琴鳴るを待ちをりぬ   律 を繋ぐ  
  くさめしてはつと猫の尾踏みにけり    くさめ を繋ぐ
  水の辺に蜻蛉撮るこつなど聞いて  蜻蛉 を繋ぐ
  団栗吟行大きな叺すぐいっぱい  団 を繋ぐ
  夏惜しむ砂に転がる青い瓶    転がる を繋ぐ

昨日は多作。
季語から 入ってないし、自分でも快心ではないけれど、沢山の句が作くれた。作れたから、それが どしたん?天邪鬼言わんと、句が出たからいいじゃん。そうか?
言葉を ヒント に 句を作るから、あくまで頭の体操だ。
しかし、ポケ~ット していては、句の一つもできぬ。
昨日の句はこれが全部。いいと思うのも、ないことは無い。自己満足、そうだよ悪いか?
推敲、推敲。
律の風と水琴は付すぎ。どちらも音。
置き床の青栗、栗が効いていない。どんな花や枝を持ってきてもいい。
風呂敷の梨 柿でもいいじゃん。
ああ 難しい。
それがどしたん俳句の見本ですな。
     オソマツ

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