用事があり高松の中心街のビジネス中心地へ行く。秋暑しで歩くだけで汗がにじむ。
途中ふと目しした薬局の名前が「菊池寛通り調剤薬局」
そうだこの辺りは菊池寛の生家の跡地もあり、高松では迢有名な文豪の名前のついた、菊池寛通りなのだと思った。
辺りには、彼の代表作である「父帰る」の作品の一場面のシーンの像がある。
他の作品で一番に想い出に残っているのが、子供の時に読んだ「恩讐の彼方に」。そして「忠直卿行状記」「藤十郎の恋」「屋上の狂人」「真珠夫人」等々。もっともっと多くの名作があるから又読み直すのもいいものだ。
目を転ずると大通りの向う側には市民が親しむ「中央公園」がある。薄く紅葉づる木の間に、菊池寛の銅像が道路に向いて高松の変遷を観察?というより考える風の表情で建っている。
説明はいらぬと思うが彼は
{「私費で雑誌「文藝春秋」を創刊し、出版事業の進展に尽力。'26劇作家協会と小説家協会が合併して日本文藝家協会を発足、初代会長に就任。 文芸家の職能を擁護確立、地位向上、言論の自由の擁護、収入・生活の安定などを活動の主軸とした。
個人的にも横光利一川端康成、小林秀雄らの新進の文学者に金銭的な援助をおこなった。 また、日本文学振興会を設立し、純文学の新人作家を対象とした芥川賞・直木賞の設置するなど、文壇の大御所として活躍した。」}
作家として生きてゆくための登竜門の芥川賞や直木賞を、今年は誰の手に渡るかが恒例の行事となっているが、さあ、あまり関心の無い人には菊池寛が創設した文学賞だとは知らない人もいるか?
(芥川賞が欲しくて欲しくてたまらないまま、ついに自死してしまった「太宰治」は賞をとったどの人とりも人気作家として現在も読み続かれている)
つい最近の話題で、日本文学振興会は21日、現在開催中のラグビーW杯で初めて決勝トーナメント進出を果たした日本代表チームに、第67回菊池寛賞を授賞することを追加発表した。関係者によると、70年近い歴史を誇る同賞の中で、追加発表が行われるのは史上初となる、、、、こんなニュースが流れた。日本中を興奮のるつぼにしたラグビー、まだその興奮は覚めていないようだ。
そんな半日を、、、ああ疲れた。お日さまに弱い私。街から電車を利用して帰ると二時間余り寝てしまった。
🍎 地下街の低き天井そぞろ寒
🍎 ちちろ虫鳴く地下街の五交路かな