身近な人の死と
しっかり出会わなかった人は
次に身近な人の死に遭遇したときも
ただ慌てるだけで
目をそらそうとしてしまう
亡くなる前に
しっかりとお話しするが大切だと思うのだが
ただおろおろと時を過ごし
二度と会えなくなって
取り返せない時間を嘆く
以前はそのような人を見て
前もって末期であることや
急変があり得ることをお伝えしているのに…
とやや批判的に見ていた
最近は
できる範囲で
医者も何かしないといけないかな
と 思いだした
大したことはできないけれど
例えば ちょっとした体調や症状の変化が
どのような意味をもっているかを
こまめに伝えることによって
その日が近づいていることを
少しずつ実感して頂く
納得して頂く
というようなことを積み重ねると
時に 「少しずつ現実を受け入れられるようになってきました」
と言われる方もでてくる
こういうような
死と向き合う心構えというようなものは
社会が あるいは 宗教が
そこに生きている人に自然と伝えていく
というのが当たり前の社会なのだと思うのですが
そういう機能が大きく崩れている現代日本においては
全く不十分ながら
医療者がわずかながらのお手伝いをするしかないという面はありそうです
時には 何とかしようという想いが空回りして
単に理解の邪魔になっている場合もあるかも知れませんけどね