Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

長生きしてどうする?

2006-10-17 | 想い・雑感
 長生きしたい。この世とおさらばするのは、非常に怖い。これはいかんともしがたい感情であろう。

 そこで世の中には、いつまでも若くという流れの話しが氾濫することとなる。しかし、「長生きしてどうするのか。何のために長生きするのか。」等という話しはほとんど出てこない。

 私は、楽しむために長生きするのではないかと思い始めている。楽しむといっても享楽的楽しみを言うのではなく、人生を味わうという意味である。

 人間の感覚からすると無限大の広がりを持つ宇宙の中、無限に存在する星の中の地球に、無限の時間のうちで今という瞬間に生きている、という有り難き現実を感謝しつつ味わうという意味である。

 生命というのは、美しい。

いただきます

2006-10-15 | 想い・雑感
 食事の前に手を合わせ「いただきます。」というのは、とても大切なことだと思っている。この言葉は、他国語に翻訳するのが難しいのではないかと想像する。

 私たち人間は、生きていくためには栄養として種々のものを口にする。その食べるものはすべて命あるものである。命あるものを食べずには生きることの出来ないことを思い、その命を提供してくれたものに感謝の気持ちも込め、「(あなたの命を)いただきます。」なのだと私は教えられた。なんと、生きとし生けるものへの謙虚さ、優しさを含んだ言葉なのだろうか。

 ところが、今日テレビで、「給食費を払っているのだから、子供に頂きますと言わせるな。」と言ってくる親がいると聞き、唖然としてしまった。この親が、誰から、何をいただくと勘違いしているのか分からないが、ここまで日本人の心は荒廃しつつあるのかと、悲しくなった。

 ただ、この親に対し、教師がどう答えたかは、知る由もない。

第4次世界大戦

2006-10-15 | 想い・雑感
 第4次世界大戦が起これば、そのときの武器は石ころだろう、という予想を聴いたことがある。第3次世界大戦で世界核戦争となれば、武器も含め多くの文明機械が、そして多くの生物が死滅、消滅することを意味しているのだと思う。

 核の冬という言葉がある。核爆発により成層圏まで巻き上げられた、核浮遊物質、粉塵、火災などによる煙が地球を覆い、地表温が著しく下がってしまうことをさしている。しかし温度が下がるだけでなく、放射能は生物に致死的影響を与えると共に、死なないまでも催奇形性を持っており、結局は多くの生物種が消滅していくと思われる。

 となれば、石で戦う第4次世界大戦すら夢物語だろう。核の冬の時代を過ぎれば人類も死滅しているはずであり、もし地球上に知性ある生物が誕生したとすれば、それはおそらく人ではないはずである。そこで地球規模の争いが起きたとすれば、それはその種にとって第1次世界大戦となるだろう。

養生

2006-10-14 | 想い・雑感
 養生という言葉がある。

 生を養うと読んでも良いのだろう。

 今の社会は、逆に生を傷つけることが多いと感じる。あまりに欲深くなり、体を、そして心を傷つけてしまう。

 宇宙という大きな循環世界の中で、たまたま受けた今の生を慈しまないで良いはずがない。

 今ある命に感謝し、生を大切にするということを根本に据える必要がある。自分を本当に大切に出来れば、人も自然も大切にするようになることは必然であろう。そこを目指したい。

治療法の選択・人生の選択

2006-10-12 | 医療・病気・いのち
 約1年半前に、食道と胃に癌があると診断されたものの、癌に対する治療を何も受けていない方が外来にやってきた。

 最初診断を受けたときは、手術を受けようと大学病院を紹介してもらったそうである。しかし、状況から12時間近く手術がかかる可能性があること。そのような大手術をしても再発の可能性は高いこと。再発するのであれば1年くらいで再発する可能性があること。などを説明され、ご本人「それなら一年間後悔せんように遊んじゃれ。」と決断したそうである。手術だけでなく、抗癌剤治療も放射線治療もせず、大きめの車を購入し、1年間いろいろなところを巡ったそうである。

 そんな方に、少し痛みが出てきた。痛いのはいやだと近隣のホスピスの門をたたき、痛み止め(まだ第一段階)を処方してもらいまた元気にしていた。ところが癌自体で命を失う前に、いきなり食事がのどを通らなくなり、水分も飲み込めなくなってきた。それも良しと最初は思ったそうだが、やはり餓死するのもいやだと、栄養補給方法を検討するために紹介されてきたわけである。

 「一年間のいろいろな旅行は楽しかったですか。」と尋ねると、破顔一笑、「いやあー、楽しかったねえ。」

 この方にとっては、人生の正しい選択だったのかもしれない。

 来院の目的は、高カロリー輸液用のポートを埋め込むことだったが、口から栄養を取る可能性求めて、食道ステントを入れる目的で近く入院していただくこととした。ポートを埋め込むのは、それからでも遅くない。

 出来ることならまた少しでも食事をしながら、残る人生を味わって頂きたい。しばらくの間、私もじゃまにならない程度に、お付き合いさせて頂こうと思う。

声のかすれ

2006-10-11 | 医療・病気・いのち
 歌いすぎたり、カゼをひいたり、声帯ポリープができたりと、いろいろな原因で声はかすれることがある。声がかすれることを嗄声(させい)と言う。

 嗄声を起こす原因の一つに、反回神経麻痺がある。反回神経は首に沿っておりてきた迷走神経から胸の高さで別れ、反転して喉頭に分布するので反回神経の名がある。。この反回神経が麻痺を起こすと、声帯の動きが悪くなり、声がかすれてくるのだ。

 反回神経麻痺を起こす原因の中で、怖いものに悪性腫瘍がある。甲状腺癌、癌のリンパ節(反回神経周囲のリンパ節)転移、肺ガン、食道癌など、反回神経を巻き込む可能性のある癌はすべて嗄声の原因となりうる。

 食道癌術後の70代男性にオーダーしていたCT検査の結果をみると、頸部のリンパ節再発を認めた。結果が出て3週間経っても予定の受診をしてくれないので、電話をしたところ、声がかすれている。検査の時には目立たなかったのだが、その3週間でリンパ節腫大がひどくなり、反回神経麻痺をおこしてきているのだ。

 直ちに外来受診を勧めた。まだ、放射線治療で嗄声を回復させられる可能性がある。

落葉

2006-10-10 | 想い・雑感
 朝方や夜は、時に寒さを感じる季節となってきた。町中の広葉樹はまだ紅葉には間があるが、山に行けばもうじき紅葉狩り。様々の色の重なりを、愛でることができる。

 しかし、木にしてみれば別に人間のために美しく装おうとしているわけではなく、冬に備えて葉を落とす準備を進めているだけだという。そして、葉を落とし冬の間根と幹を護り、春には新たなる葉をつけるのである。

 この木々のように、不要なものを取り除くことが、新たなる飛翔には必要なのかもしれない。心に堆積したこだわりや、欲を少しでも洗い落とすことにより、人も成長し、視界が広がっていくのかもしれない。

慢性腎不全

2006-10-09 | 医療・病気・いのち
 腎移植のために提供される腎臓が足りないことはよくメディアに取り上げられるが、移植が必要となる慢性腎不全の原因についてはあまり取り上げられない。

 現代日本で慢性腎不全の原因のトップは糖尿病で、原因疾患の1/3を占めている。その糖尿病は、この10年でなんと2.5倍になっている。その増加のほとんどは生活習慣病としての糖尿病であり、十分予防が可能な事項である。

 予防をほったらかして、腎臓が足りないと騒ぐのは、順序が違う。糖尿病を予防することにより、他の原因で腎不全となってしまった方に医療資源を提供することが大切だと思うし、医療費抑制にもなると思う。

内被爆

2006-10-09 | 想い・雑感
 現代の世界に置いて、人は多くの有害物質を自然界にまき散らしている。その中でも最も影響が大きいものの一つが、放射性物質である。

 放出された放射性物質は、大気中、土壌内、川や海の水中へと入っていくことになる。

 今回、北朝鮮が地下核実験を実施した可能性が高いと報じられた。安全に施行したとの発表だが、北朝鮮が言う安全などは全く信用できない。そこからの農産物や水産物は放射性物質に汚染されている可能性がある。汚染された食物を摂取すれば体の中から被爆(内被爆)することとなる。

 今後、北朝鮮からの食物輸入はしばらくの間、完全禁止にした方が良いと思われる。

 ただ、核実験は核保有国の中では、近年になっても反対を押し切って実行した国(アメリカ合衆国、フランス、パキスタン、インドなど)がある。日本にとって北朝鮮が地理的に近いことと、信用できない国ということから深刻感が強いが、他国で核実験が施行されても地球に対する危険性は少しも変わらないということはきちっと認識しておく必要がある。。

懐メロ

2006-10-09 | 想い・雑感
 懐メロという言葉を最近は耳にしません。懐かしのメロディーの略です。

 昔、親特に母親が時々懐メロのテレビ番組を見ては、知っている歌をそれこそ懐かしそうに歌っていました。それを私も何となく聞いていましたが、随分と昔の歌なんだろうなと思っておりました。

 しかし、今にして思えば、懐メロとして聞いていた歌は、当時からせいぜい20年くらい前の曲。現在に置き換えれば1980年頃にはやった歌と言うことです。親にとったら、遠い昔の思い出ではなく、当時の親の思いと直接つながった、ほんの少し前の想い出だったのだなと改めて思います。

 今を生きている私たちは、何となくずっと無限の時間が続くように思って生活しているという面がありますが、私という個はいずれ消えていく存在であることも何故か思い知らされます。

 1980年頃の歌を懐かしむ私も、2000年頃の歌を懐かしく思い出すであろう子供達に、遠くない将来にバトンタッチです。

天気図

2006-10-08 | 
 天気は旅に大きな影響を与える。自転車のツーリングなどは、もろに天候に左右される。そこで昔、天気図の勉強をしたことがある。気象通報を聞きながら、天気図を描いたりすると、ダイナミックな天候の変化が自分なりに感じられたものだ。

 ここ数日、山での遭難が報じられている。山のことはよく分からないが、平地よりも天候はは厳しく牙をむいてくる可能性があるだろう。最近の天気図を見ると、平地でも中部日本以東への旅行は憚られると感じる。その時に山に入るというのは、無謀と言うことはないのだろうか。

 私の感覚では不思議な決断だ。

 新聞では、遭難者の中に熟練の登山家有りとのことだったが、無謀な決断をする人を熟練の人と呼ぶのには抵抗がある。無謀な手術を行う外科医を熟練の外科医とは呼びたくない。

大腸ポリープ

2006-10-08 | 医療・病気・いのち
 大腸の検査として、内視鏡検査が多く行われるようになっている。大腸ポリープなどは、何の症状を生じないことが多いので、40歳を超えれば数年に一回は検査を受けた方がよい。家族に大腸癌の方がおられる場合は20代くらいでも一度は検査を受けた方がよい。

 そんな検査で直径数mmのポリープなどはよく見つかる。その多くは良性の腺種といわれるものだ。これらは年数が経つにつれ悪性化していくことも多いため、定期的に検査をしていく必要がある。

 小さなポリープの中には、その一部がすでに癌化しているものもあるが、内視鏡下にポリープを切除することによって治療が終了となることが多い。だが一部には、予想以上に大腸壁の少し深部まで癌が拡がっていることが、内視鏡下に切除したポリープを検査してはじめて分かることがある。この場合、引き続き手術を行うかどうか迷うことになる。

 粘膜を超え、粘膜下層にまで癌が浸潤すれば、リンパ節に転移を起こしている確率が1割から2割と言われている。その確率を低いと感じればそのまま様子を見るし、高いと感じれば手術治療を追加することとなる。そこは賭。微小転移の有無は、現在の臨床検査では検出できないから。

生体バンク

2006-10-07 | 想い・雑感
 医療の専門分化は、進歩をもたらした。一方、臓器のみあるいは病気のみを見る風潮ももたらした。プライマリーケアの充実が叫ばれたり、新臨床研修制度が発足したのも、人丸ごとを見ることができる能力を身に着けた医師が必要との点も理由の一つと思われる。

 しかし一方臓器移植を医療として定着させようとの努力も見られる。臓器移植の発想は、人体の個々の臓器を部品と考えるという意味で、人体機械論と思われる。実際の医療では、全体を見る眼と、局所を見る眼の両方が必要だから、機械論的視点が必要であることは否定しない。ただ機械論ですべてを見ていいとは思えない。

 今回、臓器売買の疑惑有りとされた、生体腎移植の問題が出てきた。この生体臓器移植という行為には、私自身三つの点で問題を感じる。

 1:悪くなった部品を、正常に機能している製品の部品と取り替えるという発想を医療に導入するのは、本当に正しい発想なのか。

 2:善意の生きた方の臓器を、必要な人に移植するというのは、提供者側の身を挺した愛との側面もあるのだろうが、基本的に健康な体にメスを入れるという傷害行為を前提としたものを医療と位置づけてよいのか。

 3:臓器が価値を持つ以上、資本主義の社会では売買の対象となるのは避けられないと思われるが、それを抑制する倫理をどのように構築するのか。

 といった点である。

 一部の国では、公然と臓器売買は行われている。日本の消費者金融の取立て者は、取立ての際に「腎臓を売れ。」などと迫る。ある国では、生体バンクの存在までささやかれている。などという事実を正面から見据え、議論し、法整備を進めないと、医療サイドばかりの先行は今後問題を増幅しかねない。

 移植医療の行き着くところは、自己の細胞から生み出したクローンを、自己の臓器として使うということだろう。そのクローンが人格を持っている場合、その個を臓器提供のためのものと割り切る。生体臓器移植は下手をすると、そのような行為を倫理的に肯定するところまで行ってしまうのではと危惧する。

痛いのはいやだ

2006-10-05 | 想い・雑感
 昨日は手術中から頭痛が出現し、次第に増強。夕方にかけては吐き気も伴ってきた。当直だったため帰ることも出来ずなかなかつらい状況だった。

 良寛さんは、「死ぬるときには死ぬるのがよい。」というような言葉を残していたと記憶している。すべてを肯定し受け入れるという仏教の世界観からでた言葉かなと理解するが、それに沿って考えれば病の時には病になれば良いということになるのであろう。

 自分の行動で何とも出来ないことに対しては、泰然として受け入れろと言うことだろうが、なかなかそうもいかない。頭が痛ければ痛みを取りたいとじたばたする。仕事もあるので鎮痛剤を何錠か服用した。それでもなかなか症状が取れず、今日も一日頭痛との戦いだった。

 体調が悪いとよく頭痛を経験する私としては、痛いのが大嫌いである。その思いがあるので、術後や癌による痛みはなるべく取り除いてあげたいと考える。恐らく痛みに関しては比較的敏感だと思う。しかし私自身が鈍感な面もあるのに違いなく、それを避けるには謙虚に訴えに耳を傾けるしかないと思っている。

事実を知る必要性

2006-10-04 | 医療・病気・いのち
 私の場合、程度の差はあれ、基本的に癌であることをお伝えせずに手術をお引き受けすることはない。しかし、紹介されてこられるまでにいろいろあって、患者さん自身とお会いする前に、家族が本人の告知を強く拒否する場合がある。

 では、他の病院へどうぞというのは簡単かもしれないが、進行がんと思われる場合は少しでも早く治療を開始してあげたいし、紹介された病院も困るかもしれないと思ったりもする。

 そこで、治療を進めるに従い、癌であることを本人が知らないと、円滑に治療が進められなくなる可能性があること。
 病気の内容は、あくまで患者さん自身の情報であり、家族のものでないこと。
 そして、なによりも再発などしてくると、うそにうそを重ねざるを得なくなり、大切な最後のときが、本人と家族が意志を通わせることなく過ぎ去る可能性があること。
 などをお話して、納得していただく努力をする。

 それでも納得してもらえないときもある。

 本人に胃癌であることをお伝えできないまま手術したAさん。かなりの進行がんであり、血行性転移再発、あるいは腹膜再発の可能性が非常に高いと思われた。術後も本人へ癌であることを伝えたほうがよいと家族に説明したが、伝えてくれるなとのことであった。

 そのまま1年半は定期検査でも問題なかったが、外来でエコーを当てたところ、肝臓内に約5mmと1cmのしこりが出現した。本人に癌であることを伝えてないために、とりあえずは肝臓に炎症が起きているといって直ちにTS1を開始した。

 それが著効を呈し、その後半年間は、エコーでみてもしこりがわからなくなっていた。しかし、その後また出現してきた。TS1にシスプラチンを加えて、若干効果があったが、再び増大。シスプラチンとイリノテカンの組み合わせに変えたが効果なし。そのうち、本人は治療継続に乗り気でなくなってきた。

 これまでも何度か家族に連絡を取ったが、実際には病院に来なかった。今度ばかりは必ず来ていただくよう説得。これ以上の治療は、少なくとも肝臓にあるしこりが悪性であることを伝えない限り、本人の納得が得られないことを伝え、ようやく告知の納得が得られた。

 本人には、少しオブラートに包んだような説明にはなったが、悪性であることをきちっとお伝えすることができた。

 Aさんは、ほとんど表情に出さない方なので、どのように感じたかはわからないが、その後治療に積極的となり、ともに治療するという体制ができたと感じている。

 そして今は、使用中のパクリタキセルが効果を示すことを願うばかりだ。