Happy son's birthday
今日は、息子の誕生日。
happy-san ではなくて、happy son's birthday
12歳になる息子。
ココロもカラダもずいぶんと大きくなってきた。
今日、6月22日から12星座は蟹座のスタート。
保守的で、ロマンティストで、家を大切にする蟹座の
特徴を、息子はしっかり持っている。
そして、梅雨のど真ん中だけあって
たいがい、いつも雨の誕生日だ。
出産後、入院中、病室の窓の外は
ずうっと、ずうっと雨が降っていた。
そんなどしゃぶりの雨の中
みんなが傘をびしゃびしゃにぬらしたまま、
お祝いの大きなお花を届けてくれたのを、
今でも思い出しては、ココロが温かくなる。
12年前、私は広尾の愛育病院で息子を産んだ。
離婚直後の出産で、精神的なものがあったのか
陣痛は来るものの、生み出すだけの強い陣痛にならず
破水してから3日目、
陣痛促進剤を6本半、
背中に麻酔を打つ・・・など
はっきり言って、愛育病院始まって以来の
難産だと言われた。
後で聞いた話だけれど
陣痛促進剤を多量に打つのは、母子にとって
大変危険なことだったという。
でも私は別に失意にさいなまれていたわけでもなく
ドラマとか映画に出てくる出産シーンというのは
どれも壮絶な感じなので、
みんな、大変なんだなぁ・・・くらいの気持ちで
結構、助産婦さんと世間話をしながら
分娩台に上ったり、下りたりしていた。
幾度目か、分娩台に上がった時、
ようやく頭が見えてきたので
”産んぢゃいましょう”とお医者さま。
息子が”オギャー”と言わずに
多分、私が ”ギャー”と言った記憶がある。
”男の子さんですよ。”と助産婦さんの声を聞いた時、
”神様っているんだ・・・”と瞬間思った。
私は、どうしても、男の子が欲しかった。
どちらかというと・・・
いえ、かなり女系家族の我が家での、待望の男子誕生だったのだ。
皇族、とまではいかないにしても
ファミリービジネスやら、ご先祖さま系のものを
預かる家としては、かなりプレッシャーがあったのだ。
”うちは女の子しかいないから、困ったわねぇ・・・”
というのが、私が20代前半から息子を産むまで
母の口癖だった。
私が産まれた時は、(私は次女なので)
”なんだ、また女か。”
と言って、父は1週間以上病院に会いにきてくれなかったという。
なので、息子を授かった瞬間
私の願いを聞き届けてくれた神様と
生まれてきてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいになった。
ベビーピンクのバラ
その時の感謝の気持ちで
ここまで息子を育ててこられたように、思う。
急に頭を打ったとか、
大事な時に熱を出すとか、
友達とけんかして頭を下げなきゃいけなかったりとか、
子育ての最中で、冷や汗をかくシーンは
ままあったにせよ、
おかげさまで、子育てがつらい。。。というような
ブルーになることもなく
今日の日を迎えることが出来た。
どこかの本で、
~こどもは、自分の親より高い魂を持っている場合が多い。~
というのを読んだことがある。
実は、妙に納得することもある。
12歳の、いわゆるわんぱく坊主なのだけれど
息子を通して、自分自身が成長しているなぁ・・・と
感じることがあるからだ。
そして、生意気な顔で言う言葉に
案外、真実があったりも、する。
その子の魂は、親を通って、この世に誕生し
その子の人生を歩くのだから、
親がその子を束縛してはいけない。
・・・という言葉も彼を見ていると妙に納得できてしまう。
彼は非常にマイペース。
まわりをつい気にしがちな私たち日本人の中にあっては
珍しいタイプかもしれない。
うらやましいくらいに
自分は自分、人は人、ってところがきちんとある。
だから、一度も
”俺には何で、皆みたいにパパがいないんだ!”
なんて、騒いだこともなく
わりと冷静に自分の立場を受け止めていたり、する。
そう、彼は自分の人生を歩くために
私のもとに誕生したんだな、と感じるのだ。
待望の、ミキサー
”誕生日プレゼントは、ミキサー、よろしく。”と息子。
”えっ ミキサー?” と私。
”朝、バナナジュース飲みたいからさ。”と息子。
以前、毎朝のようにバナナジュースを作っていたのだが
ある日、ミキサーが完全に壊れてしまい、
以来、ジュースではなく、毎朝、バナナを食べさせていた。
私はこの雨の中、
普段あまり行かない大井町の駅前のヤマダ電機でミキサーを見つけ、
よいしょ、よいしょ、と買って来た。
12歳の誕生日プレゼントが、このミキサー。
明日から毎朝、バナナジュースを飲んで
もっともっと、ココロもカラダも大きくなってね
生まれてきてくれて、ありがとう
今日は、息子の誕生日。
happy-san ではなくて、happy son's birthday
12歳になる息子。
ココロもカラダもずいぶんと大きくなってきた。
今日、6月22日から12星座は蟹座のスタート。
保守的で、ロマンティストで、家を大切にする蟹座の
特徴を、息子はしっかり持っている。
そして、梅雨のど真ん中だけあって
たいがい、いつも雨の誕生日だ。
出産後、入院中、病室の窓の外は
ずうっと、ずうっと雨が降っていた。
そんなどしゃぶりの雨の中
みんなが傘をびしゃびしゃにぬらしたまま、
お祝いの大きなお花を届けてくれたのを、
今でも思い出しては、ココロが温かくなる。
12年前、私は広尾の愛育病院で息子を産んだ。
離婚直後の出産で、精神的なものがあったのか
陣痛は来るものの、生み出すだけの強い陣痛にならず
破水してから3日目、
陣痛促進剤を6本半、
背中に麻酔を打つ・・・など
はっきり言って、愛育病院始まって以来の
難産だと言われた。
後で聞いた話だけれど
陣痛促進剤を多量に打つのは、母子にとって
大変危険なことだったという。
でも私は別に失意にさいなまれていたわけでもなく
ドラマとか映画に出てくる出産シーンというのは
どれも壮絶な感じなので、
みんな、大変なんだなぁ・・・くらいの気持ちで
結構、助産婦さんと世間話をしながら
分娩台に上ったり、下りたりしていた。
幾度目か、分娩台に上がった時、
ようやく頭が見えてきたので
”産んぢゃいましょう”とお医者さま。
息子が”オギャー”と言わずに
多分、私が ”ギャー”と言った記憶がある。
”男の子さんですよ。”と助産婦さんの声を聞いた時、
”神様っているんだ・・・”と瞬間思った。
私は、どうしても、男の子が欲しかった。
どちらかというと・・・
いえ、かなり女系家族の我が家での、待望の男子誕生だったのだ。
皇族、とまではいかないにしても
ファミリービジネスやら、ご先祖さま系のものを
預かる家としては、かなりプレッシャーがあったのだ。
”うちは女の子しかいないから、困ったわねぇ・・・”
というのが、私が20代前半から息子を産むまで
母の口癖だった。
私が産まれた時は、(私は次女なので)
”なんだ、また女か。”
と言って、父は1週間以上病院に会いにきてくれなかったという。
なので、息子を授かった瞬間
私の願いを聞き届けてくれた神様と
生まれてきてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいになった。
ベビーピンクのバラ
その時の感謝の気持ちで
ここまで息子を育ててこられたように、思う。
急に頭を打ったとか、
大事な時に熱を出すとか、
友達とけんかして頭を下げなきゃいけなかったりとか、
子育ての最中で、冷や汗をかくシーンは
ままあったにせよ、
おかげさまで、子育てがつらい。。。というような
ブルーになることもなく
今日の日を迎えることが出来た。
どこかの本で、
~こどもは、自分の親より高い魂を持っている場合が多い。~
というのを読んだことがある。
実は、妙に納得することもある。
12歳の、いわゆるわんぱく坊主なのだけれど
息子を通して、自分自身が成長しているなぁ・・・と
感じることがあるからだ。
そして、生意気な顔で言う言葉に
案外、真実があったりも、する。
その子の魂は、親を通って、この世に誕生し
その子の人生を歩くのだから、
親がその子を束縛してはいけない。
・・・という言葉も彼を見ていると妙に納得できてしまう。
彼は非常にマイペース。
まわりをつい気にしがちな私たち日本人の中にあっては
珍しいタイプかもしれない。
うらやましいくらいに
自分は自分、人は人、ってところがきちんとある。
だから、一度も
”俺には何で、皆みたいにパパがいないんだ!”
なんて、騒いだこともなく
わりと冷静に自分の立場を受け止めていたり、する。
そう、彼は自分の人生を歩くために
私のもとに誕生したんだな、と感じるのだ。
待望の、ミキサー
”誕生日プレゼントは、ミキサー、よろしく。”と息子。
”えっ ミキサー?” と私。
”朝、バナナジュース飲みたいからさ。”と息子。
以前、毎朝のようにバナナジュースを作っていたのだが
ある日、ミキサーが完全に壊れてしまい、
以来、ジュースではなく、毎朝、バナナを食べさせていた。
私はこの雨の中、
普段あまり行かない大井町の駅前のヤマダ電機でミキサーを見つけ、
よいしょ、よいしょ、と買って来た。
12歳の誕生日プレゼントが、このミキサー。
明日から毎朝、バナナジュースを飲んで
もっともっと、ココロもカラダも大きくなってね
生まれてきてくれて、ありがとう