断捨離が 止まらない

2016-09-28 22:59:08 | 日記
ええい!
必要なものだけ残して、使わないものは処分するんだ!
と、始めた断捨離。
今は殆ど趣味状態。家の中の戸棚や引き出しもどんどんサッパリしてきた。身も心も軽やかになってくる。

毎日、不要なものはないか〜?とウロウロしている。
小さな引き出しやら、納戸の奥まで、何があるか確認して、汗だくになりながら分別する。
ピアノの部屋はそんな不用品の一時保管場所となり大変なことになった。
これら全部年末までに処分できるかしら。

そして、いかに欲張り執着していたか気づかされる。

勿論、埋もれていたものの中に、これからこそ必要になるものもある。
これは引っ張り出してきちんとわかるように収納しなおしたり、適所に配置する。

何だろう、不思議な感覚が蘇ってきた。目覚めるというより、蘇る感じ。

終活だなあと思う。綺麗に終わりたい。綺麗に整えておきたい。
終活というと、友人は、あなたまだそんなの早いでしょと言う。
いやいやと思う。
だらしなく執着し続けて、ある日突然なんていうのは嫌だ。

私は浄土宗のお寺の子として生まれた。
他力本願の教えを受けて育った。阿弥陀さまに救われると教えられて。
自力でできることは生きること?生かされているわけだけど。
臨終の先は阿弥陀さまに救って頂けると信じること。このことの真実は誰にも分からないことなのだ。
ただ漠然と、心からの大勢の祈りとか、信じる心とかによって、偶然とは思えない何かに導かれることがあることを私は信じる。

不信心、無信仰、無宗教を豪語して形式だけ取り繕う婚家で私は怠惰な欲にまみれた。
生きることは他の命を頂き続けること。
そんな与えられたる天地の恵みに感謝するということも怠ることが増えてきていた。

ここのところ、引き篭もりがちで、楽しみもワクワクもなくなり、空の巣症候群みたいな自分がいた。
怒涛の断捨離をきっかけに、反省して、感謝して、信心を思い出して、これからの生活にまた意味を見出せそうな気がする。

琵琶湖の鮎は琵琶湖を出たらいかん
と聞いたことがある。
私はやはり琵琶湖の鮎か。

身辺整理していて、無性に琵琶湖に戻りたくなってきた。

故郷の風を感じて、空気を吸って、故郷の言葉や風習を浴びて、
故郷の価値観(面倒くさいことは多々あるが)を思い出したい。

西武新宿線高田馬場、時々利用している駅で今日事件があった。

世界中で、性善説が否定されてしまうのかしら。
こんな世の中、これは乱世だ。

元お寺の子は、もうお寺に戻れなくても、心の中に、育ったお寺の阿弥陀さまの姿が見える。
これに気づかされる為に、断捨離にのめり込んだようだ。
心の平穏にはまだまだ遠いとは思うけれど、きっと近づいてきている。

沢山の執着が生きる活力でガソリンでもある。
それもそれとして、バランスをとって生きる。


終活とも言うが、始まりのための断捨離。






コメント (2)
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