はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
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癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

藤沢周平・蝉しぐれ

2016年12月16日 | 読書


私が藤沢周平という名前を、他人の口から初めて聞いたのは平成7年の春でした。
当時の私は現在のクリニックを開業する準備段階として、前年の秋から菊陽台病院という救急病院に勤務しておりました。

その春に大阪からF先生が菊陽台病院に赴任して来ました。
年齢は私の2歳下でしたので、40をチョット越えたくらいだったでしょうか、おかっぱ頭に口髭をたくわえ、黒縁メガネというミュージシャン然とした風貌でした。

F先生は大阪で長年小児白血病の治療に携わってこられました。
最近とは違って、当時の白血病治療による寛解率は悲惨なものでした。
たくさんの子供たちの最期を看取っていく人生に疲れ果ててしまったのです。

F先生は私に、” 誰かがやらなければならない仕事だということは、ずっと承知していた。しかし、あまりにも消耗しきってしまった。
大阪から逃げ出すことを決意して、とりあえずは家内の出身地である宮崎県で就職を探したが見つからず、
隣県ということで熊本に来てしまった。 ” と事情を説明されました。

F先生はまじめで優秀なドクターでした。
菊陽台病院の診療は5時15分で終了するのですが、F先生は居残って10時近くまで研究をされていました。
私が、当時としては未だ珍しかったMRIの写真を医局のシャーカステンに貼り付けたところ、F先生は初めて目にするとのことで
昼休み中、それを注意深く眺めていました。
そして夕方になっても帰らずに、夜遅くまで、釘付けになっていました。

酒も飲まず、ゴルフなどの運動もせず、奥さんや子育ての話も聞いたことがありません。
私が、” じゃあ、先生の趣味は何ですか? ” と尋ねたところ、帰ってきた答えは、” 時々レーザーディスクを買うことと、藤沢周平を読むことです。 ” でした。

藤沢周平という名前はもちろん聞いたことがあったのですが、時代劇小説に興味のない私は、おかしな趣味だなと思っただけでした。

忘れてしまったエピソードだったのですが、今回蝉しぐれを読みながら、まざまざと思い出してしまいました。
F先生自体ががこの小説の主人公のような生き方を貫いていたからです。
F先生は、妥協するだとか、融通を利かせる、というようなことに背を向けて生きていました。
当然、患者さんやスタッフとの衝突も避けられず、時々問題が持ち上がっていました。

私が覚えているのは、ある患者の生活保護への診断書を毅然として断った事件です。
やくざ太りの中年男性が診察室でわめきちらしました。
” 前の先生には書いてもらってたのに、なんでダメなんだ! ”
F先生は一歩も引きません。” 前の先生は知らない。あなたには働けない病気など無い! ” と一喝しました。
結局、その男性は他の病院に流れたそうです。

F先生が医局の流しに立って水道水を飲む姿が懐かしく思い出されます。
お茶を勧めても、断って水道水を飲んでいました。
後で分かったことですが、F先生は熊本の水道水の美味しさに感動していたのだそうです。
” こんなに美味しい水を、お茶にするのはもったいない。 ” ということでした。
大阪では水道水のまずさにも消耗させられたのでしょう。

さて、” 蝉しぐれ ”ですが感動しました。
池波正太郎の痛快時代劇とは違って、深い文学性を感じさせられます。
主人公が少年から大人へと成長していくストーリーは、その内面的な成長も書き記さねばなりませんので、どうしても文学性が要求されるのかも知りません。
読後の満足感は半端じゃ無かったです。
若者風に言えば、” パネー! ” でしょうか。
100% お勧めの小説です。

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