はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

祝!2020年東京五輪決定

2013年09月10日 | 時事ネタ
今朝の読売新聞に”7年後、2020年に自分は何歳になっているか。
きのうは多くの人がこの計算をしたことだろう”
とありました。
私もその計算をした一人です。

実は8年前のことですが、”6年後の九州新幹線の開通”にむけて、近所の跨線橋である田崎橋が取り壊されました。
以後、私達は今も、かなりの迂回を余儀なくされています。
8年前に54歳だった私は、6年後も未だ生きているような気がしました。
しかし跨線橋が、新幹線や持ち上げられた鹿児島本線の下をくぐる平坦な交差点として開通するのは更にその3年後とのことでした。
9年後に生きているかどうかは、当時、かなり不確かなように思った記憶があります。
新幹線を利用する可能性が殆ど無かった私ですが、毎日の迂回という迷惑だけを受け続けるのも癪に障ったので、
開通して間もない頃に、意味もなく博多までの日帰り往復にチャレンジしました。
まあ、少しは気が済んだようにも思えました。

で、今回の7年後ですが、なんとなく未だ生きているような気もしますが、それよりも、生きてオリンピックを見たいなという思いが
強いようです。
私と同年齢くらいか、少し先輩になられるくらいの方々の中には、私と同じように考えられた方が多数おられるはずです。
かなりの数の日本人が7年後を楽しみにして生きていけることは、暗かった日本の国民感情に射す一条の光のようにも思えます。

日本オリンピック招致団の最終プレゼンテーションも見事でした。
お・も・て・な・し・の滝川クリステルも良かったのですが、最大の功労者は安倍首相でしょう。
日本の首相としては珍しくも身長とルックスに恵まれています。
演説の内容の真偽については怪しいものですが、声の質が誠実そうですので、説得力を持ったようです。
日本の首相の、”ミテクレ”の良さに感謝したのは初めてでした。

若者にとって7年後は、遙かに先のイベントでしょう。
私の年齢になると、あっという間に迎えることになるイベントであることを、経験的に予測できます。
前回の東京オリンピックの時に私は出水中学校の1年生でした。
当時の出水中学では何名かの、”裕福な家庭の子息”がオリンピック見物のために学校を休みました。
しかも、その休みは公欠扱いとなりました。
私は幼心にも、”受け入れなければならない人生の不公平さの一つだな。”と考えました。
7年後には、その時の仕返し気分で、オリンピック見物に行こうと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿