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昨日は木曜午後休診を利用して電気館に行ってきました。
脚本、監督を河直美が一人で手掛けています。
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45歳の女流監督で、この作品はカンヌ国際映画祭に出品されますが、彼女自身4回目の出品となります。
奄美大島に住む母子家庭の高校一年生界人 ( カイト ) と同級生杏子 ( キョウコ ) の微妙な恋愛がメインテーマなのですが、
杏子の母親を病名こそ分かりませんが、末期の病人に設定して、自宅で近所の人たちの沖縄音楽演奏に見送られて臨終させるサブテーマがあり、
さらに、界人の母親に男ができて、そのことに界人が切れて喚き散らすというベタなエピソードが重なります。
喚き散らしたその晩に、たまたま上陸した台風の中、界人の母親が行方不明になります。
結局、翌朝、必死になって探しに来た界人を母親が抱きしめてエンディングとなります。
このあらすじだけでは、カンヌに出品する内容には不十分でしょう。
そこで、何かの象徴かなと観客に推理させる、無駄なエピソードがちりばめられていきます。
まず、冒頭で奄美の海岸で水死体となっている男を界人が発見します。
男は全裸のうつ伏せ状態で、背中一面には見事な竜の彫り物が施されています。
そして、なぜか、界人は突然に、別れた父親に会いに行きたいと母親に言い出します。
界人が東京の父親を訪ねると、彼は入れ墨のデザイナーを生業としており、部屋には似たような竜の彫り物も飾られています。
さらには、冒頭の水死体となる全裸の彫り物男が、荒れ狂う海に自殺目的で入って行き、
その彫り物の後ろ姿を、これまた全裸の界人の母親が絶叫しながら見送るというシーンを流して、結局は界人の夢だったという
私が最も忌み嫌うB級映画の約束処方?を展開します。
また山羊を屠るシーンが10分近くも延々と続きます。
4本の足を縛られて逆さまに吊るされた山羊が頸動脈を切断されます。
動脈血が洗面器の中にポタポタと溜まっていき、山羊の鳴き声が次第に弱々しくなって死に果てるまでを執拗に撮り続けます。
あざとい手法だと思います。
これらのエピソードに加えてというか、混在させて、奄美の自然の美しさを映像で自慢し続けます。
このようにして、たくさんのコンテンツが押し込まれた作品となってしまいました。
しかし、私はこの内容に、反って空虚な印象を受けてしまいました。
原因は界人へのプアなキャラクター付けにあります。
作者は女性ですので、思春期の杏子へのキャラクター付けには目を見張る物があります。
エンドステージにある母親への心配と愛情、ぶっきらぼうで心を開かない界人への不満など
実に斬新で感心してしまいました。
それに引き換え、界人のキャラは、無口で、IQの低い中学1年性レベルで、何一つ自己主張が出来ないというものです。
唯一の自己主張が母親に対する喚き散らしですので話になりません。
作者は高校一年生の男子を全く理解していません。
理解していないので、ちゃんとしたセリフを与えることができなかっただけなのです。
この二人は杏子の提案で、ラストではSEXをして、全裸で手をつなぎあって海中を泳ぎます。
エンディングの映像としては審査員受けするものかも知れません。
しかし、物語のメインテーマであるヒーローの貧弱さが、この作品を空虚なものにしていると思います。
また、タイトルが何故 ”2つ目の窓 " なのか、とうとう分からずじまいでした。
もちろん英語タイトルの STILL THE WATER も意味不明です。
この映画を観て看破された方は是非、教えて下さい。
日本の素晴らしい入れ墨、奄美の自然、奄美の音楽、自宅で死を受け入れるということ、などなど外国人にうけそうなコンテンツ満載です。
カンヌグランプリを最初から念頭に置いて作られた作品ではないかと感じるのは私だけでしょうか?
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