ホテルの部屋から(5:46)
5時前には起きて身支度を整え、いつでも出かけられる
準備をしています。
ほんとのところは5時半に起きれば十分間に合うのですが、
寝ていられないのです。
朝食(6:00から)
どこのホテルンも朝食はブッフェスタイルなので、
お料理の種類も多く、好きなだけ食べられるのですが、
3回目ともなると、だんだん食べられなくなります。
とはいうものの、フルーツだけはいつもたくさん頂きます。
この日はホテルを8時15分に出発し、
バスに1時間15分ほど乗りミーソン(美山)遺跡群観光を1時間20分。
その後バスで1時間15分ほど移動し、ダナン市内観光を35分。
最後にホイアン旧市街観光をします。
ホテルにはこんな素敵なプールもあるのですが、
遊んでいる時間はありません。(7:11)
車窓から
長閑な田園風景に癒されます。
線路の脇を通った時はベトナムの列車を見ることが
出来るかもしれないと、ずっとカメラを構えていたのですが、
列車は来ませんでした。
結婚式だそうです。
招待客数が300人、500人はザラと聞き、ビックリしました。
街中を走っていると、9時を過ぎても遊んでいる子供が多かったので、
ガイドさんに質問してみると、この日は土曜日なのでした。
旅行に出ていると 曜日の感覚がなくなります。
この質問でベトナムの義務教育の話に発展しましたが、
ガイドさんによると、
ベトナムの初等・中等教育は6歳から始まり、小学校5年間、中学校4年間
高等学校3年間の12年制で、小・中学校の9年間は義務教育だそうです。
昔から開発途上国の中では識字率が非常に高く、
日本への関心も高く、日本語を学ぶベトナム人は4万人以上いるそうです。
給食は朝食と昼食が用意され、制服もあるそうです。
ただ制服は週に2回だけ着用し、他の日は私服だそうです。
都市部では、教育施設が大幅に不足しているので
子どもたちは午前組・午後組の2つに分かれ、
同一教室を2回使用する2部制が採用されているとのことでした。
また別のガイドさんの話ですと、ベトナムには徴兵制があり、
18歳になると2年間軍隊に入る義務があるそうです。
大学生は兵役が免除されているので、ガイドさんは大学に入り
日本語を専攻されたと話されていました。
観光地の話だけでなく、こんな普通の話が聞けるのも楽しいものです。
ミーソン遺跡の入り口に到着しました。(9:40)
チケット売り場近くで、ガイドさんが手続きを済ませるのを待ち歩き始めます。
入り口から100mほど歩くと橋が現れ、
橋を渡り切ると、カートに乗り換えての移動になります。
カートで5分ほど走ると現地に到着。
そこから先は歩きますが、思ったよりは暑くはなく
自然を感じながら、気持ちよく歩けました。
10分ぐらい歩くと休憩所に着きます。
昨日膝を傷めた友人と、もう一人の女性は
遺跡を見学せずそこで休んでいました。
ミーソン遺跡に到着しました。(10:16)
ミーソン遺跡はナム省ミーソンにある遺跡で6世紀から13世紀頃まで
中部地方で栄えたチャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教)の聖地。
チャンパ王国の遺産としてその歴史的価値が認められ、
1999年に世界遺産に登録されました。
20世紀初頭、フランスの考古学者らにより発見され、
修復、補強が進められましたが、大部分はベトナム戦争で破壊されたそうです。
古代ヒンドゥー教のチャム族たちは、
歴代王朝が代わる度に祠堂を建ててきたそうです。
祠堂はレンガのみで積み上げられ、
レンガの間に接着剤は一切使われていなかったそうです。
当時の技術力の高さにビックリです。
壁面の女神像
ヒンドゥー特有の文様やレリーフがいたるところに刻まれています。
白くなっている箇所は、現代になってセメントで修復した箇所だそうです。
リンガ(男性)とヨニ
男女の象徴とされる遺跡。
そっと手をかざして願い事をすると良いそうです。
ベトナム戦争時にアメリカ軍が落とした爆弾のクレーター。
屋根の造形は、船をイメージしているそうです。
祠堂内
ミーソン聖域から発掘された彫刻品や壁面の一部、
ベトナム戦争時に落とされた不発弾が展示されていました。
左は踊るシヴァ神のレリーフ。
巨大な遺跡でしたが、米軍の空爆で殆ど崩壊したそうです。
残っているの壁面と巨大な石の祭壇です。
次はダナンへ(約50Km/1時間15分)
車窓より
鳥の名前は忘れましたが、養殖しているそうです。
ダナンにて昼食(中華料理)
いかんせん、ベトナム戦争で随分建物も犠牲になって残念でした。
ホテルもお食事も豪華です。これは一人前ではないですよね。中国式に回していただくのでしょう?
教育制度もしっかりし、二部制などという面もありますが、みんなしっかり勉強している様子ですね。
世界遺産のミーソン遺跡も凄いです。
ここも爆弾にやられてしまって残念。
しかしよくあの戦争の惨事から立ち上がって復興を成し遂げたこと。ベトナム人には畏敬の念を覚えます。
お食事はお店によって4人か6人が一つのテーブルにつき、
中華料理のように分けて頂きました。
昼食も夕食も同じようにボリュウムがあるお食事
だったので、食べすぎかと思いましたが、
体重はほとんど増えていなかったので安心しました。
二部制の小学校といえば、日本でも戦後の都市部はそうでしたね。
あの頃は貧しかったですが、みな一生懸命でしたね。
ベトナムも10年後はずいぶん変わっていると思います。
もっと若ければ、その頃また行ってみたいですが、無理でしょうね。