古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

神倉神社(熊野実地踏査ツアー No.3)

2016年11月17日 | 実地踏査・古代史旅
熊野速玉大社を参拝した後、そのまま歩いて神倉神社へ。速玉大社の摂社である。
以下は、速玉大社の公式サイトより。
神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。
熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。
二月六日には、奇祭「お燈祭」が行われます。

※お願い 神倉神社の石段は急勾配なので、御年配の方は下の鳥居でご参拝下さい。
また、飲酒者や踵の高い靴での登拝は、危険防止上、お止め下さい。


お年寄りはこの鳥居で参ってください、とのこと。実際に行ってみないとわからないだろうが、この先の石段は危険極まりない。上りはまだしも、下りは健常者でも細心の注意を要する。下るときにいったん足を踏み外すと一気にこの鳥居まで転げ落ちてくること間違いなし。石段は538段あるという。写真を見ているとそれほど危険に見えないが、急なだけでなく、手すりもなく、踏み面が10センチほどしかないため、真っすぐに向いて降りれないのだ。


ご神体であるゴトビキ岩の足元に建てられた拝殿。崖っぷちに組まれた石垣の上に祠が建っている。

ゴトビキ岩は神武天皇が東征の際に登った天磐盾と言われているが、とても登れる岩ではない。

参拝していた地元のお年寄り(石段上がって来たのか?!)から「拝殿横に立ってご神体に触れることができるよ」と教えてもらった。手を当ててお祈りをするとより願いが叶うらしい。


拝殿前から熊野灘を臨む。ゴトビキ岩は沖を航行する船にとって位置を知らせる目印になるだろうと思った。


毎年2月6日、ここで御燈祭が行われる。若者たちが火を燈した松明を手にわれ先にとこの石段を一気に駆け降りるという。足を踏み外して転げ落ちる人もいるだろうな。ここを参拝したのが御燈祭から1週間後の2月11日。拝殿付近にはご神体前で行われた神事の名残りか、たくさんの松明の燃えかすや焼け焦げた石が見られた。それにしてもこの石段だけでも行った甲斐があった。

このあと、徐福上陸伝説のある阿須賀神社へ。



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小嶋浩毅
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