熊野ツアー2日目、まずは古代史を少し離れて平安時代へ。世界遺産にも登録された補陀落山寺。
以下は、那智勝浦観光ガイドより。
補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというもので、補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺です。
2004年7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録され、ご本尊の千手観音は苦悩する人々を救うと言われ、重要文化財に指定されています。
補陀落渡海船。
生きながらにして観音浄土を目指す為、約30日分の食糧を積み込み、外から釘を打ちつけて航海に出たとされている。
信じる心とは恐ろしい。自ら進んでこの船に乗ったのか、何らかの理由で乗せられたのか。『熊野年代記』によると、この補陀落山寺からの補陀落渡海は868年から1722年の間に20回実施されたという。20人の名前が刻まれた碑もあった。
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補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというもので、補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺です。
2004年7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録され、ご本尊の千手観音は苦悩する人々を救うと言われ、重要文化財に指定されています。
補陀落渡海船。
生きながらにして観音浄土を目指す為、約30日分の食糧を積み込み、外から釘を打ちつけて航海に出たとされている。
信じる心とは恐ろしい。自ら進んでこの船に乗ったのか、何らかの理由で乗せられたのか。『熊野年代記』によると、この補陀落山寺からの補陀落渡海は868年から1722年の間に20回実施されたという。20人の名前が刻まれた碑もあった。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |