古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

産田神社(熊野実地踏査ツアー No.10)

2016年11月24日 | 実地踏査・古代史旅
花の窟神社をあとにして、国道42号線を少しだけ引き返して向かったのは三重県熊野市有馬町にある産田神社。祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、軻遇突智尊、天照皇大神、大山祇命、木華開耶姫命、神武天皇。日本書紀の神代巻上の一書(第5)には、伊奘冉尊が火の神である軻遇突智を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれる。伊奘冉尊はここで軻遇突智を産んで花の窟神社に葬られた。

正面から。「産田神社」の碑がやけに新しくて白くて黒い文字が浮いていた。


社殿。七里御浜から集められた白石が一面に敷き詰められていて土足厳禁となっていた。この地方の人たちは子供を授かると安産祈願に産田神社にお参りし、ここの石を目をつぶって拾い、その石が丸ければ女の子、長細ければ男の子が生まれると伝えられ、無事に子供が産まれるとお宮参りの際に七里御浜で白石を拾い、元の石と一緒にここに返すという。


社殿を囲む瑞垣の両脇にある「神籬(ひもろぎ)」。古代の祭祀跡という。
社殿に向かって左側の神籬。


右側。


神籬が社殿の両側にあるということは、神籬が設けられたときにはすでにここに神社、あるいはその前身にあたる聖域が存在したということだ。



神社の西側を流れる産田川。川沿いの道路とともに整備された朱塗りの欄干の橋。これも神橋か。


この産田神社は先の花の窟神社とセットで参拝するのがいい。



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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~
小嶋浩毅
日比谷出版社
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