2013年7月6~7日、宮崎神話の里を訪ねるツアー。早朝の国見ケ丘で見事な雲海を拝んだあと、神武一行が下ったと思われる五ケ瀬川に沿う国道218号線で太平洋へ向かう。目的地は宮崎県日向市日知屋にある「日向のお伊勢さま」と呼ばれる大御神社。
以下は神社ホームページより抜粋した由緒。
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。
また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。
大御神社の社名は、天照皇大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、本殿に残る天保・安政年間より大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されている。(以下、略)
神社は海岸沿いにある。15百万年前、沖にある海底火山の活動によって海岸一帯に押し寄せた多量の火砕流が堆積、長い年月をかけて固まった柱状節理(溶結凝灰岩)の上に建っている。
社殿を裏手から。
由緒。
社殿。
境内にある神坐。瓊々杵尊がこの地を遊幸された折、この上に立って絶景の大海原を眺望したと伝えられる岩。
龍神の霊(たま)。この地は5000年前の縄文人が龍神信仰を行っていた古代遺跡だという。
鵜戸神宮。本殿から少し歩いた海岸の洞窟内に鎮座する神社。神社サイトによると、祭神は鵜葺草葺不合命、彦火瓊々杵命、彦火々出見命、豊玉姫命、塩筒大神。
洞窟内から。
角度を変えると光り輝く昇り龍が。
由緒となっている瓊々杵尊や神武天皇の説話は記紀に登場しない。縄文時代から龍神を信仰してきた人々が記紀が編纂されたあと、その信仰の対象を変化させたのだろうか。大海原や海岸の岩々と一体になった境内は圧巻であり、これぞパワースポットという印象でした。
宮崎神話の里を訪ねるツアーはこのあと西都原古墳群を訪ねて終了する。残念ながら西都原では掲載できる写真がほとんどないため、ツアーの紹介もこれにて終了です。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
以下は神社ホームページより抜粋した由緒。
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。
また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。
大御神社の社名は、天照皇大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、本殿に残る天保・安政年間より大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されている。(以下、略)
神社は海岸沿いにある。15百万年前、沖にある海底火山の活動によって海岸一帯に押し寄せた多量の火砕流が堆積、長い年月をかけて固まった柱状節理(溶結凝灰岩)の上に建っている。
社殿を裏手から。
由緒。
社殿。
境内にある神坐。瓊々杵尊がこの地を遊幸された折、この上に立って絶景の大海原を眺望したと伝えられる岩。
龍神の霊(たま)。この地は5000年前の縄文人が龍神信仰を行っていた古代遺跡だという。
鵜戸神宮。本殿から少し歩いた海岸の洞窟内に鎮座する神社。神社サイトによると、祭神は鵜葺草葺不合命、彦火瓊々杵命、彦火々出見命、豊玉姫命、塩筒大神。
洞窟内から。
角度を変えると光り輝く昇り龍が。
由緒となっている瓊々杵尊や神武天皇の説話は記紀に登場しない。縄文時代から龍神を信仰してきた人々が記紀が編纂されたあと、その信仰の対象を変化させたのだろうか。大海原や海岸の岩々と一体になった境内は圧巻であり、これぞパワースポットという印象でした。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |