2日間にわたる熊野ツアー、神武東征と徐福伝説を訪ねる旅の最後は三重県熊野市甫母町にある阿古師神社。祭神は、三毛入野命、天照皇大神、大山祗命、蛭子命、倉稲魂命。国道311号線の脇にある駐車場に車を停め、海岸に降りていく遊歩道を進む。歩くこと20分ほどだったか、降りきったたところにある小さな神社。
三重県神社庁のサイトから。
口承によると、神武天皇東征の際、この紀伊の海上で暴風雨の難に遇って船団は漂流、天皇の御兄稲飯命、並びに三毛入野命は入水して薨御された。風浪治まって後、土民が両命を発見、帰港して二所に奉葬し、うち稲飯命の御陵を尊崇して産土神として祀ったのが室古神社となり、また三毛入野命の御陵を尊敬して祀ったのが当社となり、それが両社のの創始と伝える。尚、当社の社名は、古、当鎮座地の辺りを英寘崎と称していたことに依拠して付けられたと言われる。明治41年4月15日、村内各小祀の合祀を執行し、現在に至る。
拝殿。
本殿。
海側から。この参道をこのまま後ずさりで戻ると海の中へ入っていく。
二木島湾。湾の反対側には室古神社があり、稲飯命が祀られている。神武天皇の一行がこの沖合で暴風雨に合って遭難し、神武の兄である三毛入野命と稲飯命が海に入った(亡くなった)。その二人を祀る神社が湾を挟んで並立している。そして、この阿古師神社からさらに30分ほど遊歩道を行くと神武一行の遭難の地である楯ケ碕。室古神社と楯ケ碕、いずれも時間の関係で参拝できなかった。まことに残念である。
以上で2日間にわたる熊野ツアーは終了。充実の実地踏査となりました。
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三重県神社庁のサイトから。
口承によると、神武天皇東征の際、この紀伊の海上で暴風雨の難に遇って船団は漂流、天皇の御兄稲飯命、並びに三毛入野命は入水して薨御された。風浪治まって後、土民が両命を発見、帰港して二所に奉葬し、うち稲飯命の御陵を尊崇して産土神として祀ったのが室古神社となり、また三毛入野命の御陵を尊敬して祀ったのが当社となり、それが両社のの創始と伝える。尚、当社の社名は、古、当鎮座地の辺りを英寘崎と称していたことに依拠して付けられたと言われる。明治41年4月15日、村内各小祀の合祀を執行し、現在に至る。
拝殿。
本殿。
海側から。この参道をこのまま後ずさりで戻ると海の中へ入っていく。
二木島湾。湾の反対側には室古神社があり、稲飯命が祀られている。神武天皇の一行がこの沖合で暴風雨に合って遭難し、神武の兄である三毛入野命と稲飯命が海に入った(亡くなった)。その二人を祀る神社が湾を挟んで並立している。そして、この阿古師神社からさらに30分ほど遊歩道を行くと神武一行の遭難の地である楯ケ碕。室古神社と楯ケ碕、いずれも時間の関係で参拝できなかった。まことに残念である。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |