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2022 6/5の拝観報告1(山科本願寺 巨大土塁にびっくり仰天!“城”と呼ばれた巨大寺院跡をめぐる まいまい京都)
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写真は、蓮如上人御廟所。
日曜日です。
この日は午前、午後で1件ずつ拝観予定です。
まずは9:00に地下鉄東野駅に集合。
まいまい京都の「山科本願寺 巨大土塁にびっくり仰天!“城”と呼ばれた巨大寺院跡をめぐる」でした。
山科本願寺の遺構をめぐるツアーです。
参加者は満員の20名で、参加費は4,000円。
アマ会のhytさんおられました。
簡単に基礎知識をまとめると、
親鸞聖人が起こした浄土真宗は地方で広まっているところもあったが、近畿では既存勢力(延暦寺など)もあったためでしょう今一つでした。
しかし室町時代、蓮如が民衆目線の正しい親鸞の教えを説くと、あっという間に広まりました。
今度はそれが仇となり、崇泰院は破壊されるし、坂本に逃げても迫害されるしで、越前の吉崎で布教を始めます。
そしたらここでも爆発的に拡がったのはいいけど、今度は信者をコントロールできなくなった。
武装、武力化して、為政者に逆らうようになった。
蓮如はそのような事態に心痛めて越前を後にます。
その結果、一向一揆は加賀の守護を追い出して、自衛自治を始めることになります。
一方の蓮如は京に入るとまた迫害されるので、山科に布教の地を求め1484年に山科本願寺を造ったのです。
さて東野駅からまずは、本願寺山科別院へ。
西本願寺系列の山科本願寺遺構です。
本堂と中祖堂にも入ってお参りしました。
表門から出て、少し進んだ右手にある蓮如上人銅像跡へ。
今は台座だけになっています。
昭和9年に建立したのですが、太平洋戦争の金属供出で回収されたので10年足らずしか存在しませんでした。
元の道に戻った正面に蓮如上人御廟所。
蓮如上人が亡くなった後、翌日に火葬して埋葬した(時間を空けると人が集まり過ぎるから)場所です。
そしてさらに西に進んで、山科中央公園にある山科本願寺土塁跡。
山科本願寺は他宗派などから攻撃される恐れがあったため、周囲を3重ぐらいで土塁で囲んでいました。
その一部が今でも残っています。
この公園の北側の小山がそうです。
これが造られたのが1510年~1520年ぐらいと想定されるので、後の「総構えの原型」ではないかとも云われているそうです。
さらにまっすぐに西に進んで西宗寺へ。
蓮如上人臨終の地ではないかと云われてるうちの1つです(もう1つはちょっと東にある光照寺)。
南東方向に戻りながら、奥田家住宅前と邸宅内に残る土塁を外から拝見し、
史跡公園へ。
この辺りが山科本願寺の西端。
すぐ隣には集落があり、その集落に沿って山科本願寺を造ったようです。
そして何もない東側にどんどん拡張していったそうです。
ここは東向きに御影堂、阿弥陀堂があった背後になるので、プライぺーとスペースだったそう。
井戸や石風呂の遺構が残っています。
さて山科本願寺ですが、1499年に蓮如が亡くなり、1532年に法華一揆、細川晴元と六角定頼の軍勢に攻められて焼失するのです。
なかなか遺構って、事前にポイントを決めて回らないと「パリッと」しません。
そういう点でこういうツアーは、メリハリもあるし、解説もあるので楽しいし、メッチャ勉強になりますね。
11:40頃に東野駅に戻り、解散しました。
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