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2022 6/19の拝観報告2(大原 呂川沿いの参道 響の道)
写真は、後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵。
山科の崋山寺を出て、三条通、仁王門通と進み、岡崎で同行のKさんを拾います。
そしてそこから大原へ。
大原には10:20頃に到着しました。
大原で予約しているのは11:30からでしたので、ちょっと時間があります。
Kさんと相談した結果、大原の参道である呂川沿いを歩いてみることになりました。
最近は横着して念佛寺のある山の上まで車で行っていたので、しばらくこの参道を歩いていませんでした。
久しぶりに歩いてみると、風情がありますね。
川のせせらぎが聞こえて、一部はモミジのトンネルで薄暗くて。
ただ沿道のお土産屋さんがコロナの影響でしょうか、いくつか廃業されていたのがさみしかったですね。
そして上まで上がってきたら、魚山園もなくなっていました・・・。
実光院の背後を見ると、天皇陵があるじゃないですか。
入ってみると後鳥羽天皇・順徳天皇の大原陵でした。
不覚にも全然認識していませんでした。
ちょうど大河ドラマでこれから出てくる天皇ですね。
81代安徳天皇が壇ノ浦で亡くなりますが、その前に京を去った時点で弟の後鳥羽天皇が3歳で82代として即位します。
幼帝なので、当面は後白河法皇が院政を敷きます。
後白河法皇の死後、後鳥羽天皇も上皇になり、83代土御門天皇が即位します。
後鳥羽上皇は幕府に不満を持ちますが、土御門天皇は穏健派。
それに不満な後鳥羽上皇は討幕派で土御門の弟の順徳天皇を84代にします。
順徳天皇も自由に倒幕運動ができるように息子に譲位し、85代仲恭天皇になります。
承久の乱が勃発しますが、朝廷側は敗れ首謀者は流罪に。
討幕に反対した土御門天皇は許されるのですが、自ら阿波に行きます。
そこで次の天皇は後鳥羽の兄だった後高倉院の息子が86代後堀河天皇に。
そして幼帝の87代四条天皇(四条天皇といえば泉涌寺です)になります。
しかし四条天皇は夭逝。
その時残っていた皇統が、土御門と順徳の子孫。
鎌倉幕府が支持するのは・・・当然土御門系ということで、88代後嵯峨天皇が即位するという現在でも分かりやすいドラマがあります。
そこまで知っていると、俄然天皇陵も他人事ではなくなります。
ちなみに帰って調べたら、土御門天皇陵は長岡京市にあるんですね。
また最後に勝林寺の寺務所がきれいになっており、併設のトイレもきれいになっていました。
10:50頃に下山し、駐車場から予約したところへと向かいました。
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