皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

処暑 初候 綿柎開

2022-08-25 22:16:27 | 生活

「柎(はなしべ)」とは花の萼のことで、綿を包む萼が開き始める頃。
綿のは花は七月から九月にかけて立葵に似た淡く黄色いきれいな花を咲かせます。その五十日ほど後に実が熟し萼が弾けて白いふわふわした綿毛に守られた種子が飛び出します。この綿糸を紡ぐと木綿の糸や布になるのです。種子からは綿実油が採れ食用油としても利用されます。
なんと六千年前ごろからメキシコで綿花の栽培が行われていたとも言われてえいます。

精霊蜻蛉とも言われる薄羽黄蜻蛉。祖先の魂を乗せてくるとの伝承からこう呼ばれるようになったそうです。
昔を懐かしむように何度も同じ場所を飛び交う姿に精霊を感じる人が多かったのでしょう。
気がつけば稲穂も頭を垂れるところも見受けられ、虫の鳴き声もセミから鈴虫へと引き継がれているようです。
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第十四節気 処暑

2022-08-23 22:59:59 | 生活

昼の残暑は厳しいものですが、お盆前と比べれば暑さの峠は越えたようで朝晩はやや過ごしやすく感じます。
「処」とは止まるという意味がありようやく秋の気配を感じる頃のようです。

農作物も収穫期を迎え、同時に台風の季節となることから、各地で豊作を祈願し嵐避けを願う「風祭」が行われます。

立春から数えて二百十日、二百二十日は雑節として暦に載る台風の特異日。また農家の三大厄日として知られます。
風の神様をまつる風神社。当社にも摂社としてお祀りされています。御祭神はシナツヒコノミコト(志那都比古命)イザナギ・イザナミの神から産まれた風の神様です。
古来自然に吹く風は神様の吹く息と考えられていたそうです。
目に見えぬ風にさえも神が宿る国。古代の人々の感性を受け継いでいきたいと願います。
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第三十九候 蒙霧升降

2022-08-20 20:36:17 | 生活

日中の残暑は厳しいものの、早朝の水辺や田んぼでは少しひんやりとした空気が漂います。「蒙霧」とはもうもうと立ち込める霧のことで、霧自体が空気中の水蒸気が急にひやされてできるものといわれます。

北海道の摩周湖や釧路、また軽井沢など濃い霧で有名な場所も多くあるようです。古くから霧の立ち込める様子を「霧の帳」などと形容し、立ち上るような霧はお香の煙にたとえて「霧の香」とも称します。お盆明けの天気が安定しないのは例年のことで、秋のおだやかな気候を迎えるのはもうしばらく先になりそうです。

この時季旬を迎える果物が無花果。「花がない果実」と思われていたからこうした漢字が当たると言います。無花果の歴史は古く六千年前頃から栽培されていたといい、旧約聖書に登場するアダムとイブは無花果のを腰ミノにつけたと記されています。
写真の無花果はご近所にいただいたものです。
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十二節気 大暑

2022-08-03 22:35:17 | 生活

梅雨明け十日前後となる一年でもっとも暑さの厳しい時季。今年は六月の梅雨明け宣言ということで季節感が少しずれてしまった感があるが梅雨の戻りもあって、実際の梅雨明けは七月二十二日前後だったのだろう。
陰陽五行説では、春は木、夏は火、秋は金、冬は水。そして季節の間が「土」。つまり年に四回「土用」をもうけている。季節の変わり目に体調が優れないことはこうした古くからの慣習でわかっていること。現在では土用と言えば夏から秋へと移り変わるの土用の期間で、それだけ暑さの厳しい身体も疲れやすいじきに当たる。
夏の土用は立秋前の十八日間のことでこの間の丑の日が 「土用の丑の日 」と呼ばれ鰻など「う」のつくものを食べたり 「丑湯 」という薬湯に入ったりする習慣がある。
今年の土用丑の日は実は二回あり、七月二十三日と八月四日に当たる。

暑さの表現も様々で、過度の暑さを「酷暑」、燃えるような暑さを「炎暑 」暑さの盛りを「極暑」などという。地面から立ち上る熱気を「陽炎 」。様々な呼称で暑さを伝えながら、季節はいつしか秋へと歩を進める。
緑色の蜜柑の実が夏の盛りを伝えているようでもうしばらく真っ青な夏空とのコントラストを目に焼き付ける季節。
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水と共に生きる

2022-07-17 22:44:30 | 生活

6月の梅雨明け猛暑から一転、七月に入って梅雨前線の南下、低気圧の停滞が重なり連日の激しい雨に見舞われている。「戻り梅雨」というのが本当にあるものだとは今年初めて知った次第だ。雨が上がっても、各地の降水量の影響か、市内を流れる忍川の水位が上がり、佐間水門を解放する胸の連絡が流れてきた。現在夜の10時を回っている。
激しかった雨も上がり東の空には大きく美し月が昇り、きれいな星も見られるのに、限度を越えた雨は時間が過ぎても各地に影響を見せている。こうした治水に関する注意警告は数年前なら九州や西日本の一部であったように思うが、ここ数年で利根川や荒川といった埼玉の一級河川に二まで影響を及ぼしつつある。

雨が上がれば美しい虹もかかる。田んぼかかる壮大な虹は見る人を魅了するが治水を考える上で重要なのは:-大きな河川の堤防より耕地面積の多くを占める田んぼの役割であろうと思う。
天然の貯水地の役割を果たしていることは言うまでもないが、こうした田んぼの維持管理が年々放棄されつつあることから殆どのひとが目をそらせているのが現実だろう。
過疎化が進行してもこの稲作文化だけは守らなければならない。先人の残した豊葦原瑞穂国としての歴史は紡いでいかなければならない。
激しい雨と美しいに虹。そして緑に映えるその風景が私たちに訴えかけている。
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