皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

アイノカタチ

2020-02-18 23:53:09 | 心は言葉に包まれて

あのね いつのまにか 気づいたんだ 愛にもし カタチがあって

それがすでに わたしの胸に はまってたなら

きっとずっと 今日よりもっと あなたのことを知るたびに

そのカタチはもう あなたじゃなきゃ きっと隙間を作ってしまうね

あのね 大好きだよ あなたが心の中で 広がってくたび

愛が溢れ 涙こぼれるんだ

昨年、一昨年とこの唄を紅白で歌い上げている。昨年に至っては紅組のトリを務めていた。その時の緊張した様子を年明けのNHKラジオ「星空のラジオ」で語っている。舞台袖では直前までトリの経験者である坂本冬美さんが手を握って応援してくれたらしい。

これから沢山の 泣き笑いを 知るたびに増えていくの

飛び出たとこ へこんだとこ 二人になってく

時にぶつかりすり減って そしてまた 埋めあっていけばいい

大好きなあなたが そばにいないときに ほら胸が痛くなって

あなたのカタチ 見える 気がしたんだ

作詞作曲はGReeeeN ドラマの主題歌にもなっている。

初めて武道館のライブを見に行った際、彼女は「大事な思い、心をカタチにして、言葉にして、自分にとって大事な人に伝えていくことが大切」と話していた。

あのね 大好きだよ 何万回も 伝えよう 温かく増えた想いは

全部 アイノカタチ です

ずっと ずっと 大好きだよ あなたが心の中で 広がてくたび

愛があふれ 涙こぼれるんだ

星の数ほどの ただ一人のあなたが 心にいるんだ

あのね あのね ずっと大好きだよ 

大好きだよ ああ ありがとう

 

 

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幸手宿 一里塚跡

2020-02-18 23:16:08 | 史跡をめぐり

『風土記稿』によると「幸手宿は田宮庄と唱え、古くは田宮町と号す既に正保二年(1645)国図等田宮町と記し薩手と傍記す」とある。幸手の地名は一説にアイヌ語の「乾いた原野」とあるが詳しくはわからないという。仲町、荒宿、右馬之助町、久喜町、牛村を合わせて「田宮の町」と呼び幸手と通称していたという。

 一方で日光街道整備前から幸手は利根川水系による河川船運と鎌倉街道の人の往来で交通の要所として栄えていた。中世においては古河公方の重臣幸手一色氏と縁が深く、軍事的にも重要な場所であった。

 慶長九年(1604)徳川家康により五街道が整備され、主要街道には一里塚が築かれる。日本橋を起点として一里(4km)ごとに五間(9m)の四方の塚であったという。また塚には榎を植えて目印にしていた。榎は根が深く広がり塚が崩れることを防いでいた。

一里塚は重要な路線標識で荷役人の賃金計算の元になったという。戦国乱世から泰平の世に移り変わるうえで、戦支度よりも経済優先の政策に変化しているのだろう。

幸手宿は江戸期には本陣、脇本陣に加え旅籠27軒を抱える日光街道三番目の規模を誇り、将軍家による日光東照宮参拝の道である日光御成道との結節点に当たり、宿場町として大いに栄えたという。

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