1994年平成6年発売の坂本冬美「夜桜お七」は自己主張する現代の女性像を八百屋お七になぞらえた名曲。江戸時代の浮世草子である井原西鶴の「好色五人女」の中にある「恋草からげし八百屋物語」に登場する八百屋の娘お七をモデルにしている。「好色五人女」は五組の男女の悲劇的な恋愛事件を題材とした中編小説。
天和二年(1683)に起きた江戸の大火事(天和の大火)に酔って本郷に住む八百屋八兵衛一家は焼出され、駒込吉祥寺へと避難した。避難生活の中で娘のお七は、寺小姓小野川吉三郎の指に刺さったとげを抜いてやったことが縁で恋仲となっていく。時がたって契りを結ぶが、寺から出ていったお七と吉三郎はなかなか会えずにいた。
思いつめたお七は家がまた火事となれば吉三郎のいる寺へと戻れると思いあろうことか家を放火してしまう。近所の人によって火事はボヤ騒ぎで収まるものの、お七は捕らえられ自白し、市中引き回しの上火あぶりとなってしまったのだった。
この時病の床に伏していた吉三郎はお七の動向がわからずじまいであったという。百日供養の済んだ後真新しい卒塔婆にお七の名前を目にし、吉三郎は悲しみのあまり自害しようとするが、お七の両親に泣いて説得され、出家の道を選びお七の霊を供養したという。
井原西鶴の『好色五人女』で広く知られることになったお七の物語はその後歌舞伎や芝居などの題材として数多く取り上げられ、知られることとなったが、歴史的資料については少ないという。わかっているのは「お七という娘が放火し処刑されたこと」だけだという。それだけに後年様々な人々が想像を働かせてこの物語を継いできたという。
さくらさくらいつまでたっても来ぬ人と
死んだ人とは同じこと
さくらさくらさよならあんた
さくらさくら花吹雪
さくらは現代でも美しさと儚さの象徴として多くの日本人に愛されている。
悲しく儚い別れの恋の歌がそこにはあった