閏戸は蓮田台地の中央に位置し、西は綾瀬川隔てて伊奈町、東は元荒川を隔てて白岡町に接する。閏戸とは「潤う土」から転じたと考えられ、古来水に恵まれた地域であったとこが伺える。元禄十一年(1698)閏戸は上・中・下に分かれ上では愛宕社、中にてこの久伊豆社、下では伊夜彦社を祀るようになっている。
風土記稿中閏戸村の稿によれば「久伊豆神社二社 村内の鎮守也、中古騎西町に立つ久伊豆社を勧請せしと云う」と載るように境内にはかつて二社の久伊豆社が祀られたことになっている。一社は「西宮」と称し見沼用水を背に鎮座し、「東の宮」は現在の国道122号線を挟んで向き合うように鎮座していたという。現在のお社は西宮が残ったもので、往時は真言宗福正寺が隣接して別当であったとされる。
現在その別当福正寺はなく、蓮田北小学校となっている。明治七年上・中・下の閏戸村は合併し同九年この久伊豆社が村社となっている。
春祭りには災害除けと豊作を祈願し獅子回しが執り行われるという。(現在は不詳です)騎西町の玉敷神社から獅子頭を借りて神前にて奉納、その後村内の氏子宅を回ったという。
閏戸村は『郡村誌』によれば「農業を主とし、産物は米、大豆、甘藷、大豆、ほかに製茶を営む」とあるように古くからの農業地帯であるが、近年では梨農家が増えている。
農業地帯ゆえに古くから作神信仰が厚く戦前までは榛名講、大山講などの講社が盛んであったという。
小学校と隣接する境内地は静寂で、夕刻の学童保育の声が盛んに聞こえ伝わる。昭和の学校教育の様子がそのまま残った印象で、こうした風景が今後も地域と一体となって残ることを願わずにはいられない。