当社は会の川の南側に位置する自然堤防の上に鎮座している。ここから加須市西中学校、むさしの村まで続く自然砂丘は昔利根川から吹き積もった内陸砂丘で、今でも多くの松林が生息する。
馬内の地名はかつて牧場で馬が多く飼われていた名残で、内陸の干ばつ地帯として遠く灌漑用水をため池から引いていたことから、天水のありがたさを知り、水神として諏訪大神を崇拝していたという。御祭神は、建御名方命で水神としてだけではなく、武門の神としても崇められてきたという。
お諏訪さまはの農業を守る神様で、昔日照りが続くと村人は近くの池から水を汲み、境内に撒いて雨乞いをした。お陰で冬でも水が枯れることがなかったという。
明治期に知方神社、雷電社、九頭竜神社、神明社、川入神社などを合祀して現在に至っている。
参道階段脇に建つ御輿殿建立記念碑は昭和五十一年。高度成長末期の日本が一番元気であった頃で、記毫埼玉県知事畑和。当地が出身地であろう。
現在は神楽などの祭事も継承者がないようであるが、行田から加須へと続く主要街道に建つその鎮守の杜は多くの往来者の安全と区域の安寧を守っているように感じてならない。
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