蓮田市中央部を貫く元荒川。蓮田駅前通りを真っすぐに走り宮前橋が架かる手前に久伊豆神社が鎮座する。久伊豆信仰は武蔵国内の元荒川沿いに限られた地域性のある神社でここ川島はその特徴をよく表している。
昔から比べれば社叢の木々も少なくなったといわれるが、元荒川の水面に移る美しい社叢は神のますところにふさわしい景観を今にも保っている。
『風土記稿』によれば「久伊豆社村の鎮守也地蔵院持ち、末社天神荒神稲荷雷電」と記される。現在その地蔵院の姿はない。
創建以来この地の作神として信仰され、農業の安全や豊作が祈願されてきたという。蓮田に鎮す久伊豆社は全て昔の水運によってその地その地であがめられ、今に伝わるという。
当社は近隣の人々から「盗人宮」と呼ばれてきた歴史があるという。昔川上から追われてきた盗賊が神社の杜に逃げ込んだところ慈悲深い神がこれをかくまったとか、お供えものが片っ端から盗まれた挙句、御神体までもが盗まれてしまったとか様々な言い伝えがあるという。
ところが平成四年ブラジルに住む当地出身の二世が「家族に病人が出るのは先祖が昭和八年に出国した際御神体を無断で持ち出してしまったからだと思うから返したい」と訪日したときに友人に託して立像を返してきたという。この話は当時の毎日新聞にも取り上げられ、御神体帰還祝いとして盛大に祭典を行ったという。
「川島」の地名は周囲を川に囲まれた低地であったことに由来するが、治水技術が向上するまでは多くの水害で悩まされていた。もちろん水の恵みも大いに受けていたのだろうが、安定して暮らすためには多くの犠牲も払ったことだろう。
「水に流す」という考え方は日本人にはあっている。ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。すべては無常だということを教えてくれる。しかし流れても人の思いはいつしかまた人を通して返される。そういうことをこの川島久伊豆神社の御神体の歴史は教えてくれるのではないだろうか。
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