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皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

浦和区 調神社①

2019-04-25 22:09:10 | 神社と歴史

旧浦和市岸町は大河の中州であったところを示す浦曲(うらわ)とその河岸の地を表している。

境内には大きな欅が残るが、ケヤキは古い名を「ツキの木」(槻の木)と呼び社名との深いかかわりを持つという。

月の神として信仰され、御祭神は「江戸名所絵図」には月読命とあるが現在では天照大御神、豊受大神、素戔嗚尊を祀っている。

また月の神の起源には諸説あり、その一つに「乙巳の変」(645年)の後に進められた孝謙天皇の諸改革(大化の改新)により租税制度が改められ、「租、庸、調」として定められた「調」にあたる税で7世紀後半には成人男子の人頭税として繊維などを納めたものをいい、これを入れる御倉を「調神」とした説がある。

 また社頭の掲示によれば、第十一代崇神天皇の勅命により、神宮斎主、倭姫命がこの清らかな地を選び、神宮に奉る調物を納める御倉を建て、武蔵野の初穂の集約運搬所として定められたという。然るにその運搬搬入の妨げとならぬよう鳥居、神門の類は除けられて今に至るという。

倭姫命は日本武尊命の叔母にあたり、命の東征に際し天上から賜った草薙の剣を授け、日本武尊命の窮地を救ったとされる。(命が国司の反逆で火討ちに会い、草薙の剣で燃え上がる草を払った地が静岡県の焼津だという)

後に調(つき)が月読神に転じて月待信仰の対象となった。中世から近世にかけて多くの文人も参拝していて、寛政三年(1791)小林一茶は深い杜に鎮まる「月読み宮」に参ったことを紀行に残している。

 月に因んで神社の神使は兎であり、狛犬の代わりに幾処にも兎像が納められている。

「埼玉の神社」によれば古来より氏子の間で『調神社七不思議』として語り継ぐ伝承、逸話があるという。

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