皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

とおりゃんせ とおりゃんせ

2019-06-26 23:18:36 | 神社と歴史

とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ

天神様の細道じゃ ちっととおしてくだしゃんせ

ご用のないものとおしゃせぬ

この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります

行きはよいよい 帰りは恐い

怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

『通りゃんせ』は江戸時代から歌われた童謡で作詞者は不明。歌に出てくる『細道』は小田原市国府津の菅原神社の参道が発祥とされる。また埼玉県川越市の三芳神社も発祥とする石碑が残っており、起源については諸説ある。

 『ご用の無いものとおしゃせぬ』のくだりは古くは『手形の無いものとおしゃせぬ』歌われていた。『七つのお祝い』とは七五三を指し、歌そのものは七五三の祝いの札を納めに関所を通る歌とされている。関所といえば『入り鉄砲に出女』といわれるように街道の要所で旅人を監視する厳しい場所であった故、歌の雰囲気もどことなく暗い印象を与える。

一番の疑問は『行きはよいよい 帰りは恐い』の件である。昔から子供は七つになるまでは神の子とされてきた。しかし七歳になると神の子から地域の一員となり、関所の監視を受けたのである。

 先述の様に天神信仰は時代と共に変化した。平安期は避雷、農耕の神として、鎌倉期以降は慈悲の神、無実の罪を晴らす神。室町以降は和歌や連歌など芸能の神として崇められ、江戸期に入って今の様に学問の神として藩校や寺子屋で祀られた。このころから天神講として、菅原道真公の命日である二月二十五日には近所の子供が集まり、天神様に供え物をして学業成就を祈願するようになる。

『怖いながらもとおりゃんせ とおりゃんせ』

神の子から氏子へと変わる儀礼を経てみな地域の一員になる。そんな意味合いを今に伝えている。

 

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