皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

蓮田市根金 稲荷神社と芥川龍之介自筆撰文碑

2023-08-07 23:13:42 | 史跡をめぐり

蓮田市根金はかつて根金村・根金新田村の二村でいずれも元禄十一年(1696)閏戸村から分村し成立している。このうち根金新田村は足立郡別所村(伊奈町小室)の九十郎によって開発されたという。口碑によれば当社の創建はその九十郎が別所村の稲荷社の分霊を勧請したもので、当初はその子孫である内村家の氏神であったものを村人が信仰したことから村の鎮守となったと伝わる。

本殿内陣には鎌と稲把を携えた稲荷大明神像が奉安されている。神像を納めた厨子の底部には「天明三年九月(1783年)奉納稲荷本地十一面観音武州埼玉郡岩槻領根金新田村」との墨書きが記されていて、往時は本地物である十一面観音像であったことがわかる。

鳥居脇に石碑が建っているが、これは明治の文豪芥川龍之介の撰文自筆の石碑として貴重である。当地出身の関口平太郎氏を顕彰する碑文で、当時氏と芥川龍之介の親交が深かったことがうかがえる。文豪として名を馳せた龍之介があんま業を営みながらも東北の飢饉や地元の学童のために寄付を続けていた関口氏に深い敬意を払っていたのだろう。二十代半ばから龍之介がその生涯を閉じる三十五歳まで続いたという。大正六年この地の氏子が発起人となり顕彰した際、龍之介は快く自選自筆を受けたのだろう。

意外なところに自国の文学者の足跡は眠っている。足跡を辿りながら文豪の想いや、人とのつながりを知り伝えていきたいと願っている。

 



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