霜月後半を迎え、都心でも紅葉の季節を迎えつつある。木々の緑はまだ色付き始めたところで、見ごろにはまだ少し早いようだが、穏やかな秋晴れが広がる都心の空は青く、空気も澄んでいた。
池袋西口を出て十五分ばかり歩くと静かな住宅街の中に御嶽神社は建っている。山の手通りから入る参道にあたる道はみたけ通りと名がついている。
鳥居をくぐって手水舎の脇には梟の石碑が見える。池袋の袋と鳥の梟の発音が似ていることから、梟を街のシンボルとし、また梟は苦労を取り除き、福を呼び込む神として、梟のお守りを授与しているという。尚御祭神は日本武尊、神武天皇(神日本磐余彦命)、建御雷命。
社記によれば正親町天皇乃御代天正年間(1573-1592)頃の創建とされ、貞享四年(1687)に社殿が創建されたという。また口碑によれば甲斐の国武将武田勝頼の家臣団が甲州よりこの池袋の地に逃れ、持参してきた神宝でこの地に神社を造営したという伝承も残るという。
嘉永六年(1854)に社殿が造営され、幕末から明治にかけ職業絵師による大絵馬が奉納されていう。昭和十三年に村社に格付け。昭和三十四年社殿改築、その後神輿の新調、神楽殿の移設等、境内整備事業が進められている。
境内社に子育稲荷が祀られている。戌の日の安産祈願が盛んのようだが、案内板のでんでん太鼓の記述が目を引いた。
でんでん太鼓とは子をあやす太鼓に紐と玉が連なった玩具のことだが、太鼓の両面で叩いて音がする仕組みになっている。私の神社でも昭和五十年代まで子供へ貸し出すために古いでんでん太鼓が本殿にあったことを覚えている。これは子供が表裏のない誠実な子に育つよう思いのこもった玩具であるという。昔の玩具や道具には様々な謂れがあるものだと感心してしまった。
新宿渋谷と並び高度成長期から三大副都心として栄えた池袋の町は、埼玉県から見るとかつては鉄道の玄関口、或いはターミナル駅であった。平成の期間に鉄道網の整備が進み今では湘南新宿ラインが直通で神奈川の先まで直通運転する時代になった。自分が学生の頃(平成五年前後)は池袋行きの高崎線が通って、渋谷までは埼京線で行くようだった。境内には東武百貨店の奉納石碑も建っていて、駅前の発展を守護してきた歴史を物語っていた。
由来に武田家臣が関わってること、はじめて知りました。
これからも楽しみにしてます。