加須市岡古井の地名の由来はとても興味深い。埼玉の神社によれ長暦三年(1039年)合の川の氾濫による大洪水で、不動明王がこの地に流れついたという。ところが拾い上げたところ地面が揺らいだ。地震が起きたのだという。洪水で騒いでいたところを続けて起こった天変地異に村人はたいそうおどろいた。お不動様が怒ったに違いない。慌てて不動様を川に戻して流すことにした。この不動様を拾い上げたところを岡古井村といったそうだ。岡震えから岡古井と転じたという。話はそれるが、皿尾の久伊豆大雷神社には昔からこの岡古井からの参拝者が多い。虫封じ祈願に来られる方もいた。どういうご縁でこの地から参拝にいらしているのか由来は不明だが、私が子供のころから参拝者名簿に岡古井の地名が書かれていてことを聞かされていた。今でも月参りに来ている方もいらっしゃる。
その後川の流れに戻されたお不動様が行き着いた先は岡古井の東にある岡村というところであった。合の川に中州に留まるお不動様を村人が拾い上げ不動明王を祀ることにした。現在の加須市の総願時、地名は不動岡になったという。
岡古井の村社とされる通殿神社。其の創建は社伝によると、その昔この地を訪れた奥州の修験者が水害に苦しむ村人を見て、救済するために一念発起し厳島神社を勧請したとされる。社名は蔵王権現が訛る過程でザオウドノから、ゾウドノ、ズドノと転化し「通殿社」となったされている。今でも名残から「権現様」と呼ばれるという。ご祭神は市杵島姫命。宗像三女神の一柱で弁天様と同一視されている。水の神様である。
温和な女神である故神輿を揉んだり獅子舞を奉納することはないという。かつて一度天王様の神輿を作って担いだところ、白い大蛇が表れて田畑を荒し、村に疫病が流行ったという。以降神輿は他所へ譲られ、賑やかな祭りは行わないようにしたという。一説にその白蛇が御神体になったとも伝えられる。
須佐之男命を祀った神社では天王様と称して神輿を揉むことが多い。御霊振りという信仰だ。一方天照大神や天神様など、静かに神輿を出すところもある。女神として、或は大宰府に流された菅原公の怒りを買わないようにする信仰だ。
神輿を出さない代わりに、八月一日に名越祭を行うという。社殿正面の柱に菰を束ねた輪を立てて
参拝者が潜る。所謂輪潜り神事で、疫病除け無病息災を願い、人形も流すという。
不動様は隣村に流れていったが、疫病除けの信仰を守りながら権現様は村の暮らしを静かに見守っているという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます