皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

板倉町 一峰神社と貝塚

2019-07-11 21:19:55 | 神社と歴史

水と緑の街群馬県板倉町。町内を流れる谷田川沿いには多くの湖沼が見られ、また渡良瀬、利根川の氾濫に備えて「水塚(みつか)」と呼ばれる防災建築の建物が残っている。町の東部、海老瀬地区は渡良瀬遊水地もほど近く、緑に囲まれながらも、東洋大学板倉キャンパスもあり、駅周辺は美しく整備されたニュータウンの様なところ。一方、東洋大学駅から1Kmも離れない場所には縄文時代の貝塚も残っている。歴史的遺構の豊かなところだ。

 今から7千から8千年前は氷河期が終わり海水の水位が上がったころで、東京湾は茨城県古河市付近まで入り込んでいたと考えられていて、この板倉周辺も、海岸線付近に生活していた縄文人の貝塚が見られる。海老瀬地区の台地の先端に権現沼があり、沼を挟んで北側が離山貝塚、南側が一峰貝塚となっている。権現沼

一峰貝塚は一峰神社の境内地となっていて、またその社叢は社寺林として自然の形で長い間伐採が行われず、自然植生された貴重な杜として市の指定天然記念物になっている神社西側は北関東では非常に珍しいリュウキュウチクが群生しているという。

天平宝宇八年(764)日光開山の勝道上人が二荒権現を勧請し、峰権現社として祀ったことを創始とする。

その後この地の領主であった藤原魚名によって藤原氏の祖先神、天津児屋根命(あめのこやねのみこと)が奉斎され一峰神社と称したという。弘仁五年(814)には弘法大師が勝道上人の遺跡を巡った際に真言同道場を設け、現在もこの石仏塔が残っている。

平安の頃になると天慶年中(964)藤原秀郷が平将門討伐の祈祷をしたとも伝わる。

古代から律令、平安に至る東国の歴史を紐解く神社が、静かな湖畔に守られるように鎮座している。


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