年四回迎える節分でも立春前に限っては豆をまき、赤飯を炊いて祝う。近頃恵方巻が流行りだして久しいが私が子供の頃には少なくともここ北武蔵においてはそうした風習はなかったように思う。節分にまく豆は摩滅から転じたもので撒くことで邪気を払い、一方福茶(富久)として柚子、梅などと混ぜて飲むことが習わしだった。
節分や立春は新春を祝う行事であることから赤飯を炊くことが習わしだった。少なくとも我が家では。今年は祝いの赤飯に添え物として南天の葉を乗せていた。音が南天ということから『難転』に通じ、縁起の良い木として鬼門または裏鬼門に植えることがあるという。福寿草と共に『災い転じて福となす』ともいわれる。
我が家の庭にも二個所に南天の木が育っている。いつだれが植えたのかはわからない。恐らく父の前の代であろうと思う。残念ながら私は社家の家系を継いだ叔父も祖父の顔も知らずに育ってしまった。しかしこうして庭の木々を受け継ぐ中で、代々引き継いできた社家としての在り方を肌で感じるようになっている。
南天の花期は初夏で茎の先端から上に伸びて花を多数つける。晩秋から初冬にかけて赤または白い小さな果実をつける。庭に育つ南天は紅白それぞれの一種ずつの木だ。実の色までも紅白揃い縁起物のようだ。
生け花の花材になる他に葉と果実は薬用にも用いられることがあるという。
神社参道には南天の木と本榊が交わるように立っている。青々とした常緑の榊は神域にふさわしく日々夕日に照らされて南天の葉とともに氏子区域の暮らしを見守っているようだ。