長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ
待賢門院堀川
小倉百人一首の八十番目の歌は恋の歌
此の髪のように長く愛して行きますというあなたの御心が、その言葉の通りになるか私にはわかりません。お逢いして別れた朝の黒髪が乱れているように、私の心ももの思いに沈むばかりです。
平安時代長く豊かな黒髪は官女の条件とされ、美人の証とされました。恋や情事の象徴として多くの歌に記されています。
というのが多くの現代解説にあります。果たしてそれだけの歌であったのでしょうか。
小倉百人一首の選者藤原定家は、その選定に際し百首すべての歌を合わせて一大情緒を表しているそうです。この八十番目の歌は後半の崩れ行く世の中を憂う歌としての意味合いがあり、色恋とはまた別の更に深い意味合いを持つ歌だというのです。
長からむ 心も知らず黒髪の
乱れて今朝はものをこそ思へ
作者である待賢門院堀河という女性は、藤原彰子に仕えた官女でありその待賢門院彰子は崇徳天皇の母親に当たります。時の摂政関白太政大臣であった藤原忠通は藤原家安泰を図るため崇徳天皇を強引に退位させ、代わりに近衛天皇を即位させます。
其の後、「待賢門院が侍女の堀川を使って近衛天皇を呪詛している」との噂が宮中を流れます。堀川は源顕仲の娘に当たりその顕仲は神祇伯。高等神官に当たります。崇徳院を消し去りたい政治勢力による根も葉もない誹謗中傷です。要するにあらぬ噂をたて相手勢力を攻撃し、自己の勢力の正当性を作り上げていたのです。
待賢門院の時代においてはその政治の権力者が天皇の外戚となって、天皇の人事にまで影響を及ぼした時代です。
待賢門院はそうした中で出家を決めます。宮中から出家の道をたどることはすなわちこの世における死を意味しました。現世の人間としていったん死に、仏門に帰依することで生まれ変わるのです。
仕えていた待賢門院が出家すると迷わず堀川も髪を下ろしたのです。その現世での儀式が剃髪、髪を下ろすということです。
長からむ 心も知らず黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ
どんな気持ちで待賢門院堀川はこの歌を詠んだのか。其の句の文脈を読むことと、作者の生涯や当時の時代背景を読み込むこととは深みが違う。
そんなことを教えてくれます。
新学期が始まり、多くの高校では百人一首を暗唱する課題が出されています。私自身も高校一年時、国語の課題で百人一首を覚えました。
三十年以上が経ち、改めて一つ一つの句に向き合いその深さを知りながら、時の流れを感じています。