皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

もうひとつのワクチン接種

2021-09-14 23:10:04 | 物と人の流れ

コロナウィルスワクチンの接種が進んでいる。四人家族の我が家でも私が二回の接種を終え、奥さんや子供たちも一回目の接種を終えた。報じられているように、副反応もそれぞれで、発熱し激しい倦怠感を生じたものもいれば、ほぼ何事もないような子もいた。
 一方、新聞報道ではこの冬のインフルエンザ流行に備えたワクチンの確保に懸念が生じているという。インフルエンザワクチンは新型コロナと違い、国が全額負担する公的接種ではない。
最も気になった部分は、インフルエンザワクチンは国内製造メーカー4社で、未使用分がメーカーに返品される商習慣があり、接種が少ないとメーカーの損失となりかねないという部分。毎年私自身は勤めている会社の健康診断時にあらかじめ申し込んでおいた分で接種している。公的接種ではないが、健康保険組合から接種の補助も出ている。
 ワクチンに対する様々な考え方もり、一概にすべての人が受けるべきとは言えないが、こうした時期に於いて、商習慣によってこうした事態が生じているのであれば、早急に法整備等検討されるべきではないかと思う。
 ワクチンを打つ人もそうでない人も尊重される社会であってほしいし、公衆衛生を維持するのに、こうしたワクチンの供給がしっかり確保できる体制であってほしいと思う。
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群馬県 玉村八幡宮

2021-09-11 22:15:50 | 神社と歴史

群馬県佐波郡玉村町は、県南部に位置する人口三万五千人の町。高崎市と前橋市に隣接し、北関東自動車道と関越自動車道の交差する高崎JCから程近く、埼玉県とも隣り合う交通の要所の町である。江戸期に入って日光東照宮への往来が盛んとなり、其に合わせて日光例幣使道が開設されると、宿場としても非常に栄えた歴史があるという。

冬場の強い北風が『からっかぜ』『赤城おろし』とよばれ、寒さが厳しい反面、夏場は日照時間が長く、気温が上がりやすいところは、利根川を越えた熊谷行田地域と同じで、県境はあれども同じ文化圏であることは間違いないだろう。

鎌倉時代の建久六年(1195)、源頼朝が上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鎌倉八幡宮より御文霊を勧請したのが始まりであったという。慶長十年(1605)には関東郡代伊奈備前守忠次が新田開発の任に当たり、神社の造立を祈願し、同十五年(1610)前橋の総社から天狗岩用水を延長する代官堀を開発して新田開発も竣工し、市内の角渕から現在の地に社殿を移築している。

以降武神としての崇敬を集め近世に入ると厩橋藩(前橋藩)主酒井氏からの庇護を受けながら、慶安二年(1649)三代将軍家光より朱印地三十石の神田を賜っている。

時代が下り大正十四年には県社に列し、昭和二十五年には本殿が国の重要文化財となっている。

慶応元年(1865)に建てられた隋神門。隋神とは八幡さまをお守りする神様のことで、平成28年町の指定文化財となっている。

境内にある御神水は神域から涌き出る湧き水で、玉村の由来も水の溜まる場所を意味するという。

神社の参道についての逸話が残っている。

 江戸時代、役人に追われて逃げた博打打ちが、ここ玉村八幡宮の杜の奥に逃げ込んだという。役人は必死になって杜の草木を刈り払い、隠れていた博打打ちは『真人間に立ち返るのでどうかお助けください』と祈っていたという。ついには追っての目を逃れることができ、後には名を名乗らず参道に敷石を寄進する者が現れたという。また明治になって隠れていた厳島神社の堀からは当時投げ入れたと思われる小判も発見されている。

また『戌亥八幡』といって戌亥年生まれの守護神としての信仰集めている。これは御祭神である応神天皇(誉田別命)が十二月(戌月)十四日(亥日)生まれで百歳を越える長寿であったことにあやかり、生まれ年を大事にしたことに由来する。

たまたま参拝した折りには、神前での結婚報告祭が行われ、雨上がりの参道を新郎新婦が晴れやかにまたにこやかに寄り添い歩いていた。

 

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向かい風の今

2021-09-08 00:02:53 | 政を為すは人にあり

 九月を迎えいよいよ解散総選挙に向け、国会も動きだそうとした矢先、現職の総理大臣は、コロナ対策と自党の総裁選の準備は両立できかねるとして、早々に政局から離れてしまった。七月以降、オリンピック、感染拡大のニュースが大々的に報じられるなかで、一転政治のニュースが一大ニュースとなっていることに不思議な気持ちがする。

風によって当選し、風に吹かれていなくなっていく。選挙に弱い議員はまさしく一大事ということだろうが、任期満了による衆議院選挙であることには違いなく、これまで四年間かけて積み重ねてきた実績の評価であるとと共に、緊急事態宣言中の解散は医療関係者の負担を考えればあり得ないと言うことだろう。

紙面での論説に、私たち一般市民側から見た政治と社会との関係性がよく示されている文が眼に留まった。

小選挙区の弊害の一つに敵を作らないように妥協を重ねてしまうことがあげられる。今の議員は有権者にたいし、『そうですね、そうですね』となり『あなたは間違っています』などとはけして言わなくなっている。時を重ねるほど芯がなくなり、究極のポピュリズムとなって行く

有権者によって選ばれた議員は国民の鏡。今の社会は組織より個人を優先させる風潮が蔓延していて、これまで積み上げてきた秩序や常識と言った考えが崩れてしまっている。部下は言うことを聞かず、上司は厳しく指導もできない。

実際コロナ感染して入院も経過観察もできない事態になっているのは確かだろう。国会についてはオンラインで開くべきだ。そのための法整備だって即座に取り組むべきだろう。

いつかいつかと思っているうちにそのときは必ず来る。先送りという逃げの一手ではいつか退路がなくなるだろう。

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二百十日と残りの日数えてみる

2021-09-01 01:05:01 | 生活

早いもので、八月も終わりを迎えます。例年であれば夏休みの最終日はそこはかとなく寂しさを感じ、明日からの新学期を様々な思いを胸に迎えるところですが、コロナ禍に於いてはいっそう複雑な気持ちであったか方が多いのではないでしょうか。学校は大丈夫か、子供のワクチンはどうしたらよいのか。いつまでこうした先の見えない状態が続くのか。

 『明かりは見えつつある』と言った政治家がおいでですが、むしろどんな光明か聞きたくなるような気持ちではありました。

夏も終わりに近づくと、野に咲く花も終いが見えて、本格的な秋を迎えるまでは花手水もなかなか苦労します。

今年の二百十日は八月晦日の本日でした。立春から数えて二百十日目を稲作農耕の三大厄日のひとつとして数えます。富山のおわら風の盆が有名で、明日から三日間、本来であれば無言の踊り手が風情溢れる舞いを披露するところですが、今年も中止になったようです。

 おわら風の盆についてはサラリーマンのバイブル『課長島耕作』のなかで紹介されていて、その刊は数あるエピソードのなかでも傑作ではないかと思っています。

今年一年も三分の二は終わってしまいました。立春から数えて二百十日ではありますが、残りを数えると120日しか残っていないのです。

年の始めに、十二才になる息子の誕生日の折り、『一日一日を大事に過ごそう。必ず結果が変わるよ』と話しました。親子共々なかなか結果が伴っていないのは、そうしたことの実践がなかったからの証拠と戒めつつ、秋、長月を迎えます。

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