皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

2022-04-20 20:34:01 | 心は言葉に包まれて

死んだ後でも楽しめるように 墓石に点数を彫ろう
「前衛的だ」ときみは笑った たぶんほめてくれるんだろう

生活や学問や、あるいは恋において 気まぐれな思い付きが 私を立たせている


それはまるで骨のように 私を通る 強い直線
それはまるで骨のように 私を燃やして残るもの

順風満帆に見えた彼女の音楽活動は2016年の喉の病気で一切が止まる。
歌うことだけではなく、歌を書くことに専念しながら創作活動を続ける一方、自分の声ではないことに絶望し死ぬことを考えていたそうだ
この曲はそうした転機が訪れる前に書いた生死観が全面に押し出された楽曲。


生きる間を手抜きせぬように 墓石に点数を彫ろう
「受けてたとう」ときみは笑った たぶん本気で楽しむんだろう

国籍や性別やあるいは肌の色や 様々な枠組みが私を作っている

それはまるでまゆのように 私を守る柔らかな鎧
それはまるでまゆのように 私を包んで 育むもの

後ろめたさを引きずって 楽しめない愚か者
全力で快楽を受け止めて 潰されず生きて行けるように

自分の死後の姿を想像したことがなかった。命を受け継ぐことに意識はあったが、自分の墓石をイメージしたことがなかった。
現世を精一杯生きることが来世に繋がり、残された者へのメッセージだと思っている。
自分を燃やして残るものがあることに改めて気づいたように思う

生活や学問や あるいは恋において 気まぐれな思い付きが 私を立たせている

それはまるで骨のように 私を通る 強い直線
それはまるでまゆのように 私を守るやわらかなよろい

それはまるで骨のように 私を燃やして 残るもの
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五月人形を飾るわけは

2022-04-19 20:35:40 | 風の習わし時を超え

風薫る五月。新緑が眩しい季節に欠かせないのが五月人形と鯉のぼり。
兜や弓、太刀を飾る意味については『端午の節句』の風習としてとらえられています。

端午の節句は元々古代中国の季節行事であり『五節句』の一つです。(七草、桃、端午、笹(竹)、菊)節句とは季節の変わり目という意味です。季節の変わり目には邪気が寄りやすいので、季節ごとにお供えをして厄を祓い無病息災を祈る風習がありました。

そもそも季節は春夏秋冬の四つととらえられていますが、昔の人は土用を含めた五季としてとらえ一年を七十五日前後で区切っていたそうです。
『人のうわさも七十五日』
ということわざの通り季節が変わればみんな忘れてしまうと信じられてきたのです。

現在の五月はさわやかな初夏ですが旧暦においては今の六月ですので所謂梅雨時期です。『端午』とは旧暦五月の最初の午の日を指します。

武家社会である鎌倉から室町時代には、この時期各武家では鎧や兜を出して家の中に飾る習慣があったそうです。梅雨時期の風通しのためでした。
端午の節句の鎧兜や武具の飾りつけの起源はここにあるそうです。
端午の節句の飾りつけは男の子を病気やけがなどの厄災から守り、立派に成長することを願う風習です。
もちろん平和な世の中であってほしい。しかし世界情勢を見ればわかる通り争いや戦いがない世の中は長く続かないことは歴史が教えてくれています。武具はいつの世も手放してはならず、平和のために自らを磨き供えることが大切だと鎧兜は教えてくれています。
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六節気 穀雨

2022-04-19 20:16:50 | 生活

地上の穀物を育てる春の雨が降る頃。穀雨とは百穀を潤す雨と言う意味です。煙るようにしとしとと降り続く長雨になる季節。新緑を濡らす雨によってよりいっそう緑も深くなるのです。

三日以上続く雨を「春霖」降ったりやんだりする雨を「春時雨」と呼びます。また「雨は花の父母」とも言われ穀物だけではなく、草花も潤い育てます。
穀雨は春の最後の二十四節気にあたり、次節は「立夏」となる季節のまさに変わり目でもあります。

ひと雨ごとに緑は深さを増してゆき、新緑の季節も本番を迎えます。

江戸時代から続く鯉のぼりの風習は『後漢書』の故事で龍門と呼ばれる激流を鯉が登りきって龍になったという伝承に由来します。『鯉の滝登り』から立身出世を願って上げられるようになったそうです。
『登竜門』も同じ逸話に由来します。当社においては五月初頭に厄神祭を迎えます。
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大和国一ノ宮 大神神社

2022-04-18 21:17:08 | 神社と歴史

日本最古の神社として知られる奈良県桜井市の大神神社。「おおみわ」と読み御神体が三輪山そのものであって、本殿を有しない。古代の祭祀を今に伝える古社である。

京阪から奈良方面に下り、東の方面に美しい姿を見せる三輪山。「古事記」では御諸山、「日本書紀」では三諸山と称し、山そのものが御神体である。こうした御神体となった山のことを「神奈備」といい、「神隠り」が転じたと考えられている。神奈備の山中には「磐座」(いわくら)があってそこで祭祀が行われていたという。神話の以前からの祭祀の形態で御祭神は大物主神。

大物主神は出雲の大国主神と同一神と考えられているが、出雲神話において記述がある。
葦原中国を治めて国作りを進めていた大国主命は、天津神の少名彦命の協力を得ていたが、少名彦命は常世の国へと帰ってしまったことから、国作りが進まなくなってしまう。そこで自分を三輪山へ祀れば国作りを手伝うと申し出たのが大物主命であった。
この神話が大神神社の起源となっていて、実は大物主は海の彼方から現れたと記されていることから渡来系、外来の神とも考えられている。
国作りの後、天孫降臨から国譲り神話を経て、大国主は出雲へと身を隠すわけだが、大神神社は出雲大社より古いことは確かである。

現在では摂社の「狭井神社」で許可を得れば一般にも三輪山への入山が許される。ただし飲食や山内の草木の持ち出しなどは許されない。厳しい条件は神に祟られないためだと言う。四月には「鎮花祭」が行われる。
春に花が咲くと共に、花粉に合わせて疫病が四方に飛散するのを沈める祭と言う。境内には「三輪の神杉」がそびえ多くの人々を迎える。

山や自然を神聖視し、聖なる地として守りながら崇めてきた古代の神道の形が今に残っている大神神社は、まさに日本最古の神社である。
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大和国一ノ宮 大神神社

2022-04-18 21:17:08 | 神社と歴史

日本最古の神社として知られる奈良県桜井市の大神神社。「おおみわ」と読み御神体が三輪山そのものであって、本殿を有しない。古代の祭祀を今に伝える古社である。

京阪から奈良方面に下り、東の方面に美しい姿を見せる三輪山。「古事記」では御諸山、「日本書紀」では三諸山と称し、山そのものが御神体である。こうした御神体となった山のことを「神奈備」といい、「神隠り」が転じたと考えられている。神奈備の山中には「磐座」(いわくら)があってそこで祭祀が行われていたという。神話の以前からの祭祀の形態で御祭神は大物主神。

大物主神は出雲の大国主神と同一神と考えられているが、出雲神話において記述がある。
葦原中国を治めて国作りを進めていた大国主命は、天津神の少名彦命の協力を得ていたが、少名彦命は常世の国へと帰ってしまったことから、国作りが進まなくなってしまう。そこで自分を三輪山へ祀れば国作りを手伝うと申し出たのが大物主命であった。
この神話が大神神社の起源となっていて、実は大物主は海の彼方から現れたと記されていることから渡来系、外来の神とも考えられている。
国作りの後、天孫降臨から国譲り神話を経て、大国主は出雲へと身を隠すわけだが、大神神社は出雲大社より古いことは確かである。

現在では摂社の「狭井神社」で許可を得れば一般にも三輪山への入山が許される。ただし飲食や山内の草木の持ち出しなどは許されない。厳しい条件は神に祟られないためだと言う。四月には「鎮花祭」が行われる。
春に花が咲くと共に、花粉に合わせて疫病が四方に飛散するのを沈める祭と言う。境内には「三輪の神杉」がそびえ多くの人々を迎える。

山や自然を神聖視し、聖なる地として守りながら崇めてきた古代の神道の形が今に残っている大神神社は、まさに日本最古の神社である。
コメント (2)
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