花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

小津監督の不思議な目線

2011年10月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと
佐藤忠男著「小津安二郎の芸術」朝日選書 からの抜粋が多くて恐縮しますが、後年、編集に加わった浜村義康氏は、小津監督の撮る目線の不自然さについて、監督と話し合った経緯が書かれていました。
「視線ということを、カメラマンは大変気にしていますね。AとBとが会話をしているとすると、まずAのアップを撮る。このときAはやや右に視線をやって喋ると、今度は、Bの目線はやや左に向ける。これで二人の視線は一直線に並ぶ感じになります。
ところが小津監督はそうじゃないんです。Aは若干右方向に視線をやっているとする。するとBも若干右のほうに視線を向けてるんです。
僕は、これはおかしいから直してくれ、と言ったんです。
そうしたら、小津ちゃんは、じゃあそうしてみようかと言って、ワンシーンだけ、私の言うように撮ったんです。
ところがラッシュの試写を見て、なんだい、変わりないじゃないか。と言うんですよ。私がいくら説明をして、右と左別々に視線をやるようにしてくれと言ってもウンと言ってくれない。どっちを見たっておんなじだというだけで、どうしたってダメなんですよ。こりゃつまらなかったんですよ」
そして、佐藤忠男氏はこう推測します。
おそらく、小津にとっては、セリフは、相手の人物に対して言うものであると同時に、半ばは、それを言っている人物が自分自身に行って聞かせるものである。その微妙な違いが視線の一致を否定することになるのである。


すべての対話がそうなっているわけでなく、「秋日和」の佐分利信と原節子の会社や料理屋での目線は自然に見えます。
ところが、原節子がアパートへ帰って、司葉子との会話のとき、はっきり目線は行き違いを見せています。
物事を考えながら話すとき、そういえば、相手を見ずに、自分の目線が泳ぐようなことはありますね。
違ウカナ?
「秋日和」は10月28日金曜日午後6時30分より スワセントラルパーキング2階会議室で上映します 入場無料でゴザイマス