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四日市の水谷仏具店です 譚

市井からの眺め102海軍道路④

2020年08月04日 | レモン色の町

塩浜の第二海軍燃料廠と泊山は、海軍道路によってつながっていた。

昭和20年4月5日午前9時43分に空撮された第二海軍燃料廠。陸軍参謀本部陸地測量所が、何らかの目的で撮ったもの。この後、空襲で壊滅的な被害を受ける。(教育委員会所蔵)

昭和20年6月22日・26日と7月9日は、B29による空襲で、破壊された海軍燃料廠。中央やや右側に人が立っているが、建物の巨大さが分かる。

昭和20年11月30日、第二海軍燃料廠は消滅。昭和30年8月に昭和石油に払い下げられた。そして、四日市コンビナート形成の基となる。塩浜駅側から石原産業方向に撮られたものか?中央左右に塩浜街道が通る。(昭和20年代)

 

昭和31年頃、燃料廠跡の撤去作業の様子。

写真集「四日市の100年」・「四日市の今昔」より

 

 

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4 コメント

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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2020-08-04 19:00:47
9時43分撮影の航空写真。実は私も持ってます。
もう30年以上も前に、財団法人日本地図センターで入手しました。
時計が写し込まれており、確かに9時43分でした。
しかし、撮影年月日は私の持っている写真からは不明です。
ただ、隅の方にNr7651 045 f=200.73と記されていますが、
この写真の直前に撮ったと思われるもう一つの写真には、Nr7651 043 f=200.73と記されています。
よって045は昭和20年4月5日の略記ではないと思うのですが、、、。
返信する
空撮 (タケオです)
2020-08-05 09:06:26
写真は 燃料廠を中心に撮られていたのでしょうか?
であれば 目的が知りたいところです
もっと広範囲に空撮されていたら(市街とか) これまた 貴重でございますナァ
(ぼやけた戦前の写真はございますが…)
返信する
Unknown (伊勢生まれの下総人)
2020-08-05 14:07:20
私は写真を二枚(043, 045)持っており、いずれも昭和30年前後の9年間を過ごした錦町(現三栄町)と昌栄町が写り込んでいるものを購入しました。カタログには周辺がかなり広域に網羅されていた印象があります。
昌栄町の家は入居した昭和30年当時、築後30年と言われていましたので写っている筈ですが、解像度が悪くルーペで観ても確認できません。(笑)
しかし、懐かしの浜田小学校はよくわかります。
返信する
どーもです (タケオです)
2020-08-07 10:12:41
気づいたことですが
空襲直後の浜田小学校の校庭が
碁盤の目に仕切られているようです
瓦礫を集めたところと思っていたのですが
畑 ではないでしょうか?
瓦礫は 中央通りに埋められたと聞いています
昨日はお休みでしたので
本郷深井戸と泊の燃料廠倉庫を見てきました
報告します
返信する

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