花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

市井からの眺め 16

2020年03月04日 | レモン色の町

四日市港の埋め立てが盛んにおこなわれ、工業地帯の基盤が形成されていった。気になったのは、大正10年、四日市港は名古屋港に追い越されたという。それまではなぜ伊勢湾でトップだったのか?明治期の産業からさかのぼって調べてみたい。

十二間道路完成(大正13年)相生橋を背に西方向に向かって四日市駅方面を見た絵

埋め立ての終わった四日市港の2号地(大正14年)対岸にみえるのは末広町

昭和11年には大博覧会会場となる

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« エキサイト四日市 ・バザール... | トップ | 集団の妄想に惑わされること... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レモン色の町」カテゴリの最新記事