語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】新潟県知事の、「原発再稼働」批判

2012年06月09日 | 震災・原発事故
 大飯原発の安全性に係る野田佳彦・首相の説明について、泉田裕彦・新潟県の知事は、8日夜、談話を発表した。

 「福島を襲ったような地震や津波が起きても事故を起こさない」という限定付きでの「安全宣言」だ。福島を襲ったものとは異なる直下型地震の場合は、またもや「想定外」と言い訳できる説明だ。
 新たな原子力規制機関が、まだできていない。万一の事態が生じた場合の対策も固まっていない。こうした中、新たな「安全神話」を創り出すことになる首相説明だ。極めて無責任。国民生活を人質にし、安全を軽視した宣言だ。

 以上、記事「新潟知事「国民生活を人質」 首相の再稼働説明を批判」【朝日新聞デジタル 2012年6月9日0時44分】に拠る。

    *

(1)新潟県知事コメント
 原子力損害賠償支援機構及び東京電力の総合特別事業計画認定に係る泉田裕彦・新潟県知事のコメント(2012年5月10日)。
 <昨日、政府により、原子力損害賠償支援機構及び東京電力の総合特別事業計画が認定されました。
 当該事業計画の収支見通しでは、来年4月から順次柏崎刈羽原子力発電所が再稼働することを前提として、料金算定がされています。
 国から支援を受けるために計画を作らざるを得ないという状況があったとしても、一昨日の廣瀬常務の原発をゼロにするのはもったいない、という安全を軽視した発言は看過できません。
 加えて、福島原発事故の検証と社内のけじめもつけられていない中で、再稼働に具体的に言及し、それを国が認定するということは極めて遺憾です。
 再稼働が前提であれば、東京電力からの説明を受ける意味を見い出すことはできません。>

(2)補足
 (a)福島第一原発事故の原因究明が先決だ。国会で東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)が設置されているが、全部究明されるか、不明だ。形式的に報告書が出ようとも、いったい誰が事故を防ぐために準備すべきことを事前に怠ったのか、まず明らかにしなければ、再び同じ事故が起きる。原因を知って対策をたてるのが、まともな人間のやることだ。
 原子力が、人間が想定した事態に対して技術的対応をすれば扱えるものなのか、という問題も含めて判断されなければならないはずだ。
 そうしたプロセスを踏まずに、現在、再稼働をするための論議をしている人たちの神経が、理解不可能だ。

 (b)「冷やす」「閉じ込める」が原発の安全を確保するための基本的原理だ。今回、なぜ「冷やす」のに失敗したか。当時、配電盤が壊れていたから、仮に電源車が配置されていて、それをつないでも動かない。それどころか、つなぐ場所までたどり着けない。だから、電源車は本質的な対策にならない。

 (c)NRCは、9・11後、新たな対策「B.5.b」を追加した。テロが発生したら、数時間以内に全米すべての原発にホウ酸入りの水など冷却セットを送り届ける体制を構築した。ステーション・ブラックアウトが起きたら、最初はとにかく冷やすしかないのだから。
 問題は、保安院が、この措置を東電に伝えていなかった点だ。
 米国側は、この冷却セットを使うよう必死になって各方面に伝えていた。ところが、中国でマスコミを接待して遊んでいた勝俣恒久・東電会長(当時)はも奈良で夫婦してブラブラ観光していた清水正孝・社長(当時)も、知らされていないから何を言われているのか分からなかったらしい。結局使われなかった。こうした問題を、専門家がきちっと詰めなければならない。

 (d)ハード面のみならずマネジメント、特に意思決定についても同様だ。事故直後、武藤栄・副社長(当時)の記者会見で、記者から鋭い質問が出ていた。武藤が海水注入を決断したのは1号機の爆発の前か後か、と。武藤は、「記憶を整理したい」としか答えていない。昨年7月、泉田知事が同じ質問をしたら、「1号機爆発前に決断した」と明言した。しかし、海水注入は、廃炉にする、5,000億円をパーにする、ということだ。そこで、「一存で決断できたのか」と訊いたら、「副社長では決断できない」という答えだった。当然だ。当時、勝俣も清水も本社にいなかった。
 では、誰が夜中に海水注入の決断をしたのか。
 原発が危機的になって、「誰の判断で冷却するのか」という意思決定の仕組みを作らないと、また同じことが起きる。だから、事故原因をまzちゃんと究明すべきなのだ。

 (e)そもそも、今に至るまで誰一人事故の責任をとっていない。
 工場で爆発事故が起きたら、警察と消防の合同現場検証をやって、捜査する。
 今回、まずそれをやるべきだ。やるべきことをやらず、教訓を踏まえた対策を講じていないまま再稼働するのは時期尚早だ。

 (f)原発に使うウラン235は、有限な資源だ。埋蔵量は30~50年しかない。原子力発電は、もともと人類の文明史的に見れば過渡的なエネルギーだ。その辺の議論もきちんとやるべきだ。

 以上、語り手:泉田裕彦(新潟県知事)/聞き手・まとめ:成澤宗男(編集部)「原発の再稼働は容認できない」(「週刊金曜日」2012年6月1日号)に拠る。
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