★デービッド・エジャトン(坂出健、松浦俊輔・訳)『戦争国家イギリス -反衰退・非福祉の現代史-』(名古屋大学出版会 5,400円)
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(1)英国史には、目立った断絶がない。革命、維新、敗戦といった大きな屈折点を抱えたフランス、ドイツ、それに日本とは、その点が違う。
EUからの離脱を「決めた」のは、法的には国民ではなく、「聖俗の貴顕人士と庶民」から成る議会と、国王だ。
これまでの英国史は、「揺りかごから墓場まで」の福祉、「平和」をキーワードに語られてきた。海洋国家の英国には、平和な海と貿易の自由が何より大事だった。
欧州大陸における二度の世界大戦への介入も、重要ではあるがエピソードに過ぎず、古い植民帝国が20世紀を通じ徐々に衰退した・・・・というのが、今日に至るまで通念となっている。
(2)本書は、その通念を揺さぶる。
平和な海を維持する代償は巨大な海軍であり、必要なときに軍事力を行使して国際秩序を守るというのが、英国の平和主義だった。レーダーも戦略爆撃機も原子爆弾も、英国民自身が創案したものだ。福祉と並んで戦争こそが、英国に「大きな政府」をもたらした。
産業面でも、軍事色が濃い。航空機産業は軍主導で発展した。政府が手掛けた研究開発は、常に活発で民間製造業を大いに刺激した。それは第2次大戦後も続いた。「軍産複合体」は、米国のみならず、英国にも存在したのだ。
「幅広い人文的素養を身に付けた紳士が素人ながら大局から判断する」という指導者像も偏っている。戦争目的の技術開発に大量動員された理工系の専門家は、平時にも指導層の一翼を担い続けた。技術開発のため政府が抱えた人員は膨大で、専門家が指導する軍需省庁は大きな役割を担っていた。
(3)なぜ、こうした歴史叙述の偏りが英国で生じたのか。
「軍国主義」に彩られたドイツの逆転像を、自国の歴史像に求めたためだ。
〈例〉「精神を忘れた専門家が支配するドイツ。優れた技術を破壊のために使う野蛮なドイツ。そのドイツに土俵際にまで追い込まれたのは、英国民が深く平和を愛していたからだ」。・・・・願望に基づくそうしたイメージが、歴史叙述を歪めた。理工系の知識に乏しい歴史家が偏った通念をこしらえた・・・・というのが、本書の見立てだ。
人は、自分の見たいものしか見ない。伝統ある英国歴史学の本流にもその偏向がある。このことを指摘した本書は、衝撃的だ。
また、それは、革命や敗戦を経験しなかった英国でも第1次大戦が大きな屈折点だったのではないか、戦争こそが20世紀の先進国の経済と学術の特色だったのではないか・・・・という視点を、新しくする。
軍事と民生を峻別して発展したわが国の戦後史にも、本書は新たな視野を提供する。
□玉井克哉(東京大学教授・信州大学教授)「実は戦争国家の色が濃かった/通念を覆す20世紀英国の検証 ~私の「イチオシ収穫本」~」(「週刊ダイヤモンド」2017年8月5日号)
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(1)英国史には、目立った断絶がない。革命、維新、敗戦といった大きな屈折点を抱えたフランス、ドイツ、それに日本とは、その点が違う。
EUからの離脱を「決めた」のは、法的には国民ではなく、「聖俗の貴顕人士と庶民」から成る議会と、国王だ。
これまでの英国史は、「揺りかごから墓場まで」の福祉、「平和」をキーワードに語られてきた。海洋国家の英国には、平和な海と貿易の自由が何より大事だった。
欧州大陸における二度の世界大戦への介入も、重要ではあるがエピソードに過ぎず、古い植民帝国が20世紀を通じ徐々に衰退した・・・・というのが、今日に至るまで通念となっている。
(2)本書は、その通念を揺さぶる。
平和な海を維持する代償は巨大な海軍であり、必要なときに軍事力を行使して国際秩序を守るというのが、英国の平和主義だった。レーダーも戦略爆撃機も原子爆弾も、英国民自身が創案したものだ。福祉と並んで戦争こそが、英国に「大きな政府」をもたらした。
産業面でも、軍事色が濃い。航空機産業は軍主導で発展した。政府が手掛けた研究開発は、常に活発で民間製造業を大いに刺激した。それは第2次大戦後も続いた。「軍産複合体」は、米国のみならず、英国にも存在したのだ。
「幅広い人文的素養を身に付けた紳士が素人ながら大局から判断する」という指導者像も偏っている。戦争目的の技術開発に大量動員された理工系の専門家は、平時にも指導層の一翼を担い続けた。技術開発のため政府が抱えた人員は膨大で、専門家が指導する軍需省庁は大きな役割を担っていた。
(3)なぜ、こうした歴史叙述の偏りが英国で生じたのか。
「軍国主義」に彩られたドイツの逆転像を、自国の歴史像に求めたためだ。
〈例〉「精神を忘れた専門家が支配するドイツ。優れた技術を破壊のために使う野蛮なドイツ。そのドイツに土俵際にまで追い込まれたのは、英国民が深く平和を愛していたからだ」。・・・・願望に基づくそうしたイメージが、歴史叙述を歪めた。理工系の知識に乏しい歴史家が偏った通念をこしらえた・・・・というのが、本書の見立てだ。
人は、自分の見たいものしか見ない。伝統ある英国歴史学の本流にもその偏向がある。このことを指摘した本書は、衝撃的だ。
また、それは、革命や敗戦を経験しなかった英国でも第1次大戦が大きな屈折点だったのではないか、戦争こそが20世紀の先進国の経済と学術の特色だったのではないか・・・・という視点を、新しくする。
軍事と民生を峻別して発展したわが国の戦後史にも、本書は新たな視野を提供する。
□玉井克哉(東京大学教授・信州大学教授)「実は戦争国家の色が濃かった/通念を覆す20世紀英国の検証 ~私の「イチオシ収穫本」~」(「週刊ダイヤモンド」2017年8月5日号)
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