語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【陶淵明】「帰去来の辞」の帰去来兮(かえんなんいざ)という読みくせ

2018年05月08日 | 詩歌
 <全文340字から成る「帰去来の辞」は、次のように歌い出される。

  歸 去 來 兮  歸去來兮(かえんなんいざ)
  田園將蕪胡不歸  田園は将(まさ)に蕪(あ)れんとするに胡(な)んぞ帰らざる

 最初の行は、カヘンナンイサと読むのが、日本での古くからの読みくせである。
 この読みくせは、なかなか正しいであろう。何となれば、〈帰〉去来兮という四つの漢字の、意味の中心は〈帰〉の字にのみある。二字目の去は、帰の字の下にそえられた軽い助字、そえことばであり、三字目の来の字は、一そう軽くそわった助字である。最後の兮(けい)の字に至っては、純粋に音声を充足するだけの助字であって、全く意味をもたない。帰去来兮は、現代の中国語でいうならば、回去了罷(ホイチュラバ)というのと、相当る。回去了罷(ホイチュラバ)の重点がただ回(ホイ)の字にのみあるように、帰去来兮という四字に於ける意味の重点、したがって心理の中心は、ただ帰の字にのみある。去来兮(きょらいけい)というあとの三字は、帰りゆかんとする意志が、感情によってせき立てられる心理の波だちを表現するにすぎない。〈かえんなんいざ〉、という読みくせは、その意味で大へん正しいであろう。>

 【注】〈〉内は、原文では傍点。

□吉川幸次郞『陶淵明伝』(新潮叢書、1956/新潮文庫、1960/中公文庫、1989/ちくま学芸文庫、2008)の陶淵明伝「十」の一部を引用

 

【佐藤優】現代に生きるマルクスの『資本論』

2018年05月08日 | ●佐藤優
土屋/オカネは人間にとって必要ですが、オカネに目がくらんでお札ばかり追いかけている人生は、はたから見てあまり楽しそうではありません。

佐藤/そのうえで、オカネを無視する人も幸せになれないのが現実です。オカネについて考えるときに、マルクスが役に立つんですよ。

塙/マルクスと聞くと、なんだかとても難しそうなイメージがありますが・・・・。

佐藤/近代経済学は「オカネはどうして出てくるのか」という研究はしていません。うんと簡単に言うと「オカネはオカネだ」で終わりです。マルクス経済学は違います。マルクスの『資本論』の最初の部分は「オカネはどうして出てくるのか」という研究なんですよ。
 倉庫にコーラが山ほどあるとして、それを全部自分で飲むわけではありません。仕入れたコーラはよく冷やしてお祭りにもっていったり、コンビニやスーパーに卸したりして、仕入れ値より高い値段で売るわけです。
 モノの交換はオカネを媒介します。そのオカネを使って、今度は自分が必要な本やお砂糖を買うわけですよね。

土屋/盆踊りをやっている夏祭りの会場に本をもっていっても売れませんが、お菓子やコーラ、ビールは飛ぶように売れます。

佐藤/ここはとても不思議なのです。オカネがあれば何でも買えるかもしれませんが、モノが確実にオカネに替わる保証はありません。
 かつて私がソ連で外交官として勤務していたとき、おもしろいことが起こりました。1991年のある日、夜9時15分ごろにアナウンサーがこういう放送をするわけです。「本日24時をもって50ルーブル札、100ルーブル札は使用できなくなります」。

塙/ソ連崩壊直前に、オカネの価値が突然なくなっちゃったわけですか。

佐藤/そう。日本円で言うところの5,000円札や1万円札が、ある日突然使えなくなってしまったのです。これはえらいことですよ。
 こうなると、50ルーブル札や100ルーブル札のみならず、ルーブル自体を誰も使わなくなります。すべてのルーブルが、いつ使用禁止になるかわかりませんしね。ちなみに東西冷戦まっただ中のソ連では、アメリカドルを公然と使うと逮捕されました。

塙/外貨も含めて、ある日突然目モスクワでオカネを使えなくなってしまった。ソ連の人たちはどうやって生活していたのですか。

佐藤/その瞬間、マールボロがオカネの代わりになったのです。

土屋/マールボロって、あの赤色の箱に入ったタバコですよね。

佐藤/そう。そのタバコがオカネの代わりになったのです。白タクをつかまえると、マールボロを1箱渡しただけでモスクワ市内のどこへでも行ってくれました。
 要人を連れてレストランに行くときには、ルーブルではなくマールボロをカートンごと袋に入れてもっていきます。ただし使えるのは「赤」だけであって、メンソールやライトのゆるいタバコは使えません。
 「今日は四人でキャビアをガッチリ食べて、ウォトカもしこたま飲むぞ」と息巻きながらレストランに入り、マールボロを3箱出して「これでやってくれ」なんて言うわけです。金本位制の経済が突然終わり、ソ連末期には「マールボロ本位制」の経済が成立しました。

塙/ルーブル札をいくらもっていても、ソ連では何の価値もなくなってしまった。マールボロを山ほど備蓄していた人が、ソ連社会ではオカネ持ちになったわけですね。

佐藤/あのソ連社会を見たときに、かつて読んだマルクスの『資本論』が私の中でピタリとハマったんですよ。1万円札を刷る諸費用は、せいぜい20円から22円程度のはずです。
 その紙切れ一枚で1万円分のサービスが買えるなんて、これは一種の信仰ですよね。「1万円札には1万円分の価値がある」とみんなが信じているから、貨幣経済は成り立ちます。旧ソ連のようにその信仰が崩れてしまったら、経済は成り立ちません。
 貨幣経済は便利ですが、オカネを信仰にしてしまう恐ろしさもあります。オカネは人間にとっての道具であり手段なのに、人間はオカネに支配されがちですよね。経済的に行き詰まった人が、生命保険をかけたうえで電車に飛び込んで自殺する。こんなことは本末転倒でしかありません。人間はオカネほしさのために生活をメチャクチャにし、ときには命までも捨ててしまう。ここにオカネの怖さがあるのです。

□佐藤優×お笑い芸人ナイツ(土屋伸之・塙宣之)『人生にムダなことはひとつもない』(潮出版社、2018)の「第4章 仕事とおカネの心得」の「現代に生きるマルクスの『資本論』」を引用

 【参考】
【佐藤優】オカネの使い方とインテリジェンス
【佐藤優】やりたくない仕事はスパッと断る
【佐藤優】「本当に好きな仕事」は長続きする