(承前)
<この観点からすると、東京地方検察庁特別捜査部が昨年12月に摘発したスーパーコンピューター(スパコン)開発に関連した詐欺事件も、AIに関連した宗教の具体例に挙げられる。
スーパーコンピューター開発会社「ペジーコンピューティング」の代表取締役をつとめていた齋藤元章(さいとうもとあき)被告人は、「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」から得た助成金を騙し取ったとの疑いで、12月5日に逮捕され、同25日に起訴された。今年、2月13日には、脱税容疑で起訴されている。齋藤被告人が騙し取った助成金は、合計で約6億5,300万円にものぼり、脱税額は約2億3,000万円になる。問題は、AIという夢を語る人物に、なぜ政治家、官僚やマスコミ関係者の大多数が惑わされたかだ。ただし、真の勉強をしている人は、事柄の本質を当初から見抜いていた。それを紹介したい。
齋藤氏は、AI(人工知能)が2030年頃には人間の知能を備えるシンギュラリティ(技術的特異点)が到来すると主張している。2016年10月3日、内閣府の^「2030年展望と改革タスクフォース」と題する会合で齋藤氏が行ったプレゼンテーションに対して、国立情報学研究所社会共有知研究センター長の新井紀子教授が辛辣な批判を行った。
〈齊藤委員のプレゼンに関して、特に2015年のグリーン500において、今までダークホースであったPEZYのコンピュータが1位から3位まで入ったことは非常に画期的なこと。一つの日本のスパコン、特にグリーンのスパコンというような観点で、ぜひ今後も頑張っていただきたい。一方で、数理論理学者というか、計算量の理論の方の研究者として一言申し上げておきたい。計算が大変に速くなったり多くなったり、特に1000倍、1万倍、100万倍ということになると、今まで計算できなかった全てのことが計算できると考えがちであるが、それはまったく見当違いである。例えば私は「ロボットは東大に入れるか」という大学入試を突破するというプロジェクトをしているが、そこで開発しているAIには(東大生が解けているのに)解けない数学の問題がいくつもある。それは今、御提案の次世代のスパコンが地球の滅びる日まで計算しても計算ができないことが理論上わかっているタイプのものばかりである。それをなぜ人間が解けるのか、AIという言葉が生まれてから50年以上研究が進められてきたが、その理由は全くわかっていない。
結局、コンピュータには意味がわからない、というのが決定的な弱点だといえるだろう。画像認識については、人間の脳の動きを模したといわれるニューラルネットワークという統計的手法によって、限定的なタスクに関しては人間を超えるような性能を発揮してはいる。しかし、言葉に関して、つまり言語に関してのシンボルグラウンディングは全く理論上も突破できる見込みがまだ立っていない。意味がわからないコンピュータがどんなに速く計算しても、できない。
シンギュラリティが来るかもしれない、というのは、現状では「土星に生命がいるかもしれない」とあまり変わらない。土星に生命がいない、と証明されたわけではないように、シンギュラリティが来ないことを今証明できるわけではない。一方で、土星に土星人がいるかもしれない、ということを前提に国家の政策について検討するのはいかがなものか。〉(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/summary_281003.pdf、2018年3月1日閲覧)
新井氏は、今年2月に東洋経済新報社から『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』を上梓し、巷間に流布しているAI(人工知能)が神になる、AIが人類を滅ぼす、AIが自らの力で人間の知能を超える能力を持つシンギュラリティ(技術的特異点)が来るという言説は、すべて誤りであると退けている。
その理由をまとめると、次のようになる。コンピューターは計算機に過ぎない。できるのは四則演算(正確には、足し算と、かけ算)だけだ。過去4,000年の歴史で数学が獲得した言語は、論理、確率、統計の三つだけだ。次世代スパコンや量子コンピューターが開発されようとも、非ノイマン型コンピューターが開発されても、使えるのはこの言語だけなのである。
〈「真の意味でのAI」とは、人間と同じような知能を持ったAIのことでした。ただし、AIは計算機ですから、数式、つまり数学の言葉に置き換えることのできないことは計算できません。では、私たちの知能の営みは、すべて論理と確率、統計に置き換えることができるでしょうか。残念ですが、そうはならないでしょう。〉(新井紀子『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、2018年、118頁)
論理的にはこの説明で十分なのだが、新井氏は大学入試、機械翻訳、自動作曲、画像認識などのメカニズムを具体的に説明することを通じて、AIの効用と限界を明らかにする。科学を過信せず、科学の限界を謙虚に知ることが重要である、と新井氏は繰り返し説いている。作品の行間から、優れた知識人の知的誠実さが伝わってくる。
特に重要なのは、人間の言葉に関する新井氏の見解だ。人間の言葉を確率過程に還元することはできない、と新井氏は強調する。
政府が土星に生命体があるか調査するようなプロジェクトに、国民の税金を用いてはならないのだ。先端科学の問題点を、非専門家にも説明できるサイエンスコミュニケーターの能力が新井氏には備わっている。それは、新井氏が狭い専門分野にとらわれない本質的な勉強をし、論理的なものと論理以外のものとの違いをよく理解しているからだ。ちなみに、新井氏の見解は神学的に見ると「有限は無限を包摂することはできない(finitum non est capax infiniti)」というプロテスタント・カルバン派の立場と親和的だと思う。
新井氏のような強靱な思考力をつけるための道具として、本書は読者の役に立つ、と私は信じている。>
□佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』(角川新書、2018)の「新書版まえがき」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】『思考法 教養講座「歴史とは何か」』の「新書版まえがき」」

<この観点からすると、東京地方検察庁特別捜査部が昨年12月に摘発したスーパーコンピューター(スパコン)開発に関連した詐欺事件も、AIに関連した宗教の具体例に挙げられる。
スーパーコンピューター開発会社「ペジーコンピューティング」の代表取締役をつとめていた齋藤元章(さいとうもとあき)被告人は、「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」から得た助成金を騙し取ったとの疑いで、12月5日に逮捕され、同25日に起訴された。今年、2月13日には、脱税容疑で起訴されている。齋藤被告人が騙し取った助成金は、合計で約6億5,300万円にものぼり、脱税額は約2億3,000万円になる。問題は、AIという夢を語る人物に、なぜ政治家、官僚やマスコミ関係者の大多数が惑わされたかだ。ただし、真の勉強をしている人は、事柄の本質を当初から見抜いていた。それを紹介したい。
齋藤氏は、AI(人工知能)が2030年頃には人間の知能を備えるシンギュラリティ(技術的特異点)が到来すると主張している。2016年10月3日、内閣府の^「2030年展望と改革タスクフォース」と題する会合で齋藤氏が行ったプレゼンテーションに対して、国立情報学研究所社会共有知研究センター長の新井紀子教授が辛辣な批判を行った。
〈齊藤委員のプレゼンに関して、特に2015年のグリーン500において、今までダークホースであったPEZYのコンピュータが1位から3位まで入ったことは非常に画期的なこと。一つの日本のスパコン、特にグリーンのスパコンというような観点で、ぜひ今後も頑張っていただきたい。一方で、数理論理学者というか、計算量の理論の方の研究者として一言申し上げておきたい。計算が大変に速くなったり多くなったり、特に1000倍、1万倍、100万倍ということになると、今まで計算できなかった全てのことが計算できると考えがちであるが、それはまったく見当違いである。例えば私は「ロボットは東大に入れるか」という大学入試を突破するというプロジェクトをしているが、そこで開発しているAIには(東大生が解けているのに)解けない数学の問題がいくつもある。それは今、御提案の次世代のスパコンが地球の滅びる日まで計算しても計算ができないことが理論上わかっているタイプのものばかりである。それをなぜ人間が解けるのか、AIという言葉が生まれてから50年以上研究が進められてきたが、その理由は全くわかっていない。
結局、コンピュータには意味がわからない、というのが決定的な弱点だといえるだろう。画像認識については、人間の脳の動きを模したといわれるニューラルネットワークという統計的手法によって、限定的なタスクに関しては人間を超えるような性能を発揮してはいる。しかし、言葉に関して、つまり言語に関してのシンボルグラウンディングは全く理論上も突破できる見込みがまだ立っていない。意味がわからないコンピュータがどんなに速く計算しても、できない。
シンギュラリティが来るかもしれない、というのは、現状では「土星に生命がいるかもしれない」とあまり変わらない。土星に生命がいない、と証明されたわけではないように、シンギュラリティが来ないことを今証明できるわけではない。一方で、土星に土星人がいるかもしれない、ということを前提に国家の政策について検討するのはいかがなものか。〉(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/summary_281003.pdf、2018年3月1日閲覧)
新井氏は、今年2月に東洋経済新報社から『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』を上梓し、巷間に流布しているAI(人工知能)が神になる、AIが人類を滅ぼす、AIが自らの力で人間の知能を超える能力を持つシンギュラリティ(技術的特異点)が来るという言説は、すべて誤りであると退けている。
その理由をまとめると、次のようになる。コンピューターは計算機に過ぎない。できるのは四則演算(正確には、足し算と、かけ算)だけだ。過去4,000年の歴史で数学が獲得した言語は、論理、確率、統計の三つだけだ。次世代スパコンや量子コンピューターが開発されようとも、非ノイマン型コンピューターが開発されても、使えるのはこの言語だけなのである。
〈「真の意味でのAI」とは、人間と同じような知能を持ったAIのことでした。ただし、AIは計算機ですから、数式、つまり数学の言葉に置き換えることのできないことは計算できません。では、私たちの知能の営みは、すべて論理と確率、統計に置き換えることができるでしょうか。残念ですが、そうはならないでしょう。〉(新井紀子『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、2018年、118頁)
論理的にはこの説明で十分なのだが、新井氏は大学入試、機械翻訳、自動作曲、画像認識などのメカニズムを具体的に説明することを通じて、AIの効用と限界を明らかにする。科学を過信せず、科学の限界を謙虚に知ることが重要である、と新井氏は繰り返し説いている。作品の行間から、優れた知識人の知的誠実さが伝わってくる。
特に重要なのは、人間の言葉に関する新井氏の見解だ。人間の言葉を確率過程に還元することはできない、と新井氏は強調する。
政府が土星に生命体があるか調査するようなプロジェクトに、国民の税金を用いてはならないのだ。先端科学の問題点を、非専門家にも説明できるサイエンスコミュニケーターの能力が新井氏には備わっている。それは、新井氏が狭い専門分野にとらわれない本質的な勉強をし、論理的なものと論理以外のものとの違いをよく理解しているからだ。ちなみに、新井氏の見解は神学的に見ると「有限は無限を包摂することはできない(finitum non est capax infiniti)」というプロテスタント・カルバン派の立場と親和的だと思う。
新井氏のような強靱な思考力をつけるための道具として、本書は読者の役に立つ、と私は信じている。>
□佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』(角川新書、2018)の「新書版まえがき」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】『思考法 教養講座「歴史とは何か」』の「新書版まえがき」」
