(1)安倍晋三・首相の発言や著書には岸信介がいて、改憲をめざすなど共通点がある。しかし、経済方面では二人は著しく違っている。
安倍首相の成長戦略は、規制緩和や自由化など、典型的な経済自由主義によって貫かれている。他方、岸信介は戦前・船中は商工省官僚ないし商工大臣として統制経済の遂行に力を注いだ中心人物であり、戦後も経済自由主義には懐疑的だった。
では、経済自由主義に背を向けた岸信介の経済思想とはどのようなものだったか。
(2)1920年、農商務省(のちの商工省)に入省した岸は、26年、米国で開催された世界博覧会に出席するため渡米し、イギリスやドイツにも立ち寄って調査する機会を得た。
30年、浜口内閣の下で金解禁が実施されて昭和恐慌が勃発すると、26年の報告書が注目され、岸は再びヨーロッパに派遣された。
当時、欧米では資本主義の大転換が進行中だった。その衝撃は経済理論の革新を引き起こすほどのもので、二度の海外体験は岸の思想形成に決定的な影響を及ぼしたはずだ。
資本主義の大転換について、アルフレッド・チャンドラー『スケール・アンド・スコープ --経営力発展の国際比較』(有斐閣)に依拠しつつ概説すれば以下のとおり。
(3)所有者が個人的に管理する小規模の企業によって運営される資本主義経済は、19世紀後半、欧米においては大規模な投資を必要とする輸送・通信手段(蒸気船や鉄道、電信)が出現し、俸給経営者が専門的に経営を担うようになった。所有と経営とが分離した。
大量生産・大量販売を行う企業もまた、業務上の意思決定を俸給経営者陣に集中させるようになった。
さらに19世紀末から20世紀初頭にかけて、画期的な製法の革新、新たな産業の勃興が起きた(「第二次産業革命」)。
これら新産業は「規模の経済」が大きく働くもので、よって規模が大きいプラントほどコスト上の優位に立つことになった。
さらに、これらの新産業は同じ原材料・同じ中間工程から多数の製品を製造することができるため、「範囲の経済」も大きく働く。つまり、同じ工場で同時に製造される製品数が増加すれば、各製品の単位費用が低下する。
ただし。この「範囲の経済」を享受するためには。生産設備を通過する原材料の通量が生産能力を下回らないように維持されていなければならない。さらに原材料から生産設備への通量だけはでなく、中間業者や消費者に至るまでの流れも調整する必要がある。もし、こうした調整がうまくいかず、現実の流量が生産能力を下回る場合には、固定費用が巨額であるため、単位費用は急増してしまう。
要は、規模と範囲の経済が大きく働く資本集約的産業においては、その費用と利益は、定格生産能力と通量によって決まる。通量の調整には、生産から流通に至る全工程を管理する組織化された人間の能力(チャンドラーのいわゆる「組織能力」)を必要とする。「組織能力」こそ、資本集約的産業の競争力を決める主たる要因だ。
資本集約的産業においては、高度な「組織能力」を有する統合的な経営階層組織が構築されるようになる。統合的経営階層組織による新たな資本主義の形態をチャンドラーは「経営者資本主義」と呼ぶ。
(4)さらにチャンドラーは、米国、イギリス、ドイツの3ヶ国における経営者資本主義の違いを比較している。
(a)米国・・・・経営者資本主義の発達が最も顕著で、主要企業は市場シェアと利益を求めて競争していた。広大な国内市場が競争関係の維持を可能にした。チャンドラーのいわゆる「競争的経営者資本主義体系」だ。
(b)ドイツ・・・・経営者資本主義が発達したが、主要企業が国内外で市場シェアを維持するために協定を結ぶ傾向が強かった。この「協調的経営者資本主義」により、ドイツは第一次世界大戦における敗戦から急速に復興を遂げることができた。
(c)イギリス・・・・企業家たちが従来の個人経営に執着し、経営者資本主義に必要な投資や組織能力の開発に消極的だった。ためにイギリスでは「個人資本主義」が残存し、ドイツや米国の後塵を拝することになった。
なお、この「経営者資本主義」の成立は、経済思想にも多大な影響を与えることになった。
資本集約的産業においては、産出量の増大に伴って生産コストが低下する(「費用低減」)。
経済思想の主流(経済自由主義)は、自由競争市場の価格メカニズムによって需要と供給が均衡するという「市場均衡」を至上命題としている。ただし、「市場均衡」は「費用一定」ないし「費用逓増」を仮定することで成り立っている。
(5)市場は自動的に均衡するのだから、政府介入の必要はない。これが、経済自由主義が「自由放任」を正当化する理論的根拠だったはずだ。
しかし、費用逓減現象が起きるのであれば、価格メカニズムによる需要と供給の均衡は達成できなくなる。企業は、生産量が拡大するほどコストを引き下げ、利潤を拡大できるのだから、市場シェアの拡大をめざして投資競争を繰り広げることになり、市場は均衡しない。
劇甚な競争の結果、最終的には寡占や独占の発生に至ってしまう。
また、経済自由主義は、個人や企業が自己利益を追求して競争するものと仮定している。
これに対して経営者資本主義は、チャンドラーが指摘するように、企業内ないし企業間の調整や強調を実現する「組織能力」が決定的に重要となる。
しかし、経済自由主義の理論的枠組みでは、この「協調」や「組織能力」を説明するにははなはだ不十分だ。
□中野剛志「統制経済 岸信介の選択」(「文藝春秋SPECIAL秋「昭和史大論争」、2015)
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安倍首相の成長戦略は、規制緩和や自由化など、典型的な経済自由主義によって貫かれている。他方、岸信介は戦前・船中は商工省官僚ないし商工大臣として統制経済の遂行に力を注いだ中心人物であり、戦後も経済自由主義には懐疑的だった。
では、経済自由主義に背を向けた岸信介の経済思想とはどのようなものだったか。
(2)1920年、農商務省(のちの商工省)に入省した岸は、26年、米国で開催された世界博覧会に出席するため渡米し、イギリスやドイツにも立ち寄って調査する機会を得た。
30年、浜口内閣の下で金解禁が実施されて昭和恐慌が勃発すると、26年の報告書が注目され、岸は再びヨーロッパに派遣された。
当時、欧米では資本主義の大転換が進行中だった。その衝撃は経済理論の革新を引き起こすほどのもので、二度の海外体験は岸の思想形成に決定的な影響を及ぼしたはずだ。
資本主義の大転換について、アルフレッド・チャンドラー『スケール・アンド・スコープ --経営力発展の国際比較』(有斐閣)に依拠しつつ概説すれば以下のとおり。
(3)所有者が個人的に管理する小規模の企業によって運営される資本主義経済は、19世紀後半、欧米においては大規模な投資を必要とする輸送・通信手段(蒸気船や鉄道、電信)が出現し、俸給経営者が専門的に経営を担うようになった。所有と経営とが分離した。
大量生産・大量販売を行う企業もまた、業務上の意思決定を俸給経営者陣に集中させるようになった。
さらに19世紀末から20世紀初頭にかけて、画期的な製法の革新、新たな産業の勃興が起きた(「第二次産業革命」)。
これら新産業は「規模の経済」が大きく働くもので、よって規模が大きいプラントほどコスト上の優位に立つことになった。
さらに、これらの新産業は同じ原材料・同じ中間工程から多数の製品を製造することができるため、「範囲の経済」も大きく働く。つまり、同じ工場で同時に製造される製品数が増加すれば、各製品の単位費用が低下する。
ただし。この「範囲の経済」を享受するためには。生産設備を通過する原材料の通量が生産能力を下回らないように維持されていなければならない。さらに原材料から生産設備への通量だけはでなく、中間業者や消費者に至るまでの流れも調整する必要がある。もし、こうした調整がうまくいかず、現実の流量が生産能力を下回る場合には、固定費用が巨額であるため、単位費用は急増してしまう。
要は、規模と範囲の経済が大きく働く資本集約的産業においては、その費用と利益は、定格生産能力と通量によって決まる。通量の調整には、生産から流通に至る全工程を管理する組織化された人間の能力(チャンドラーのいわゆる「組織能力」)を必要とする。「組織能力」こそ、資本集約的産業の競争力を決める主たる要因だ。
資本集約的産業においては、高度な「組織能力」を有する統合的な経営階層組織が構築されるようになる。統合的経営階層組織による新たな資本主義の形態をチャンドラーは「経営者資本主義」と呼ぶ。
(4)さらにチャンドラーは、米国、イギリス、ドイツの3ヶ国における経営者資本主義の違いを比較している。
(a)米国・・・・経営者資本主義の発達が最も顕著で、主要企業は市場シェアと利益を求めて競争していた。広大な国内市場が競争関係の維持を可能にした。チャンドラーのいわゆる「競争的経営者資本主義体系」だ。
(b)ドイツ・・・・経営者資本主義が発達したが、主要企業が国内外で市場シェアを維持するために協定を結ぶ傾向が強かった。この「協調的経営者資本主義」により、ドイツは第一次世界大戦における敗戦から急速に復興を遂げることができた。
(c)イギリス・・・・企業家たちが従来の個人経営に執着し、経営者資本主義に必要な投資や組織能力の開発に消極的だった。ためにイギリスでは「個人資本主義」が残存し、ドイツや米国の後塵を拝することになった。
なお、この「経営者資本主義」の成立は、経済思想にも多大な影響を与えることになった。
資本集約的産業においては、産出量の増大に伴って生産コストが低下する(「費用低減」)。
経済思想の主流(経済自由主義)は、自由競争市場の価格メカニズムによって需要と供給が均衡するという「市場均衡」を至上命題としている。ただし、「市場均衡」は「費用一定」ないし「費用逓増」を仮定することで成り立っている。
(5)市場は自動的に均衡するのだから、政府介入の必要はない。これが、経済自由主義が「自由放任」を正当化する理論的根拠だったはずだ。
しかし、費用逓減現象が起きるのであれば、価格メカニズムによる需要と供給の均衡は達成できなくなる。企業は、生産量が拡大するほどコストを引き下げ、利潤を拡大できるのだから、市場シェアの拡大をめざして投資競争を繰り広げることになり、市場は均衡しない。
劇甚な競争の結果、最終的には寡占や独占の発生に至ってしまう。
また、経済自由主義は、個人や企業が自己利益を追求して競争するものと仮定している。
これに対して経営者資本主義は、チャンドラーが指摘するように、企業内ないし企業間の調整や強調を実現する「組織能力」が決定的に重要となる。
しかし、経済自由主義の理論的枠組みでは、この「協調」や「組織能力」を説明するにははなはだ不十分だ。
□中野剛志「統制経済 岸信介の選択」(「文藝春秋SPECIAL秋「昭和史大論争」、2015)
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国家が中心になってやれば、ソ連や中国と同じだな(笑)民間がやればSF小説・映画の世界によく有る話と同じだな。バットマン、007等々ね(笑)
早い話が自由主義も最終的には共産主義に行き着いてしまうという事かなァ、、?
その兆候は新自由主義に現れているよね、、。
そして現在の安倍自民党政治にも色濃く現れているな、、。
経済界に口出しし、労働界には脅しをする。思想信条にも介入。国民全てに足枷を嵌め自由にコントロールしようとする官僚制度と政治制度を目指しているよね。