語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】後藤田正晴回顧録(1) ~行政改革~

2011年09月26日 | ノンフィクション
 後藤田正晴、1914年8月9日生、2005年9月19日没、享年91。警察官僚(警察庁長官)、政治家(自治大臣兼国家公安委員長兼北海道開発庁長官<第2次大平内閣>、内閣官房長官<第1次中曽根内閣>、行政管理庁長官(→総務庁長官)<第2次中曽根内閣>、内閣官房長官<第2次中曽根改造内閣、第3次中曽根内閣>、法務大臣<宮澤改造内閣>、副総理兼法務大臣<宮澤改造内閣>)。

 『情と理 ~後藤田正晴回顧録』には、今日の政治にも関わりの深い主題が次々に登場する。
 例えば、行政改革。

 後藤田は、第2次中曽根内閣で行政管理庁長官に就いた。就任中の1984年7月1日、政府全体に係る省庁統合の一環として、行政管理庁と総理府は統合された。仕事の中身の重要性、分量からして、行政管理庁は総理府を吸収する形になる。総理府の仕事の一部は各省に返したが、大部分は総務庁に移った。ただし、後藤田の手配により、賞勲局だけは内閣に残した。
 合併に際して人の配置替えがある。総理府の現役職員は自分たちに不利にならないよう、陰に陽に強い運動を行った。藤波孝生・官房長官や藤森昭一・官房副長官にいろんな方面から圧力がかかってきた。それ以上に、山地進・総理府総務副長官は内部から突き上げられた。
 総理府を残せ、という主張すら出てきた。
 こうした運動の中心になったのは、事務方、事務当局の幹部だ。それに同調して動いたのは、歴代の総理府総務長官であり、同政務副長官だった。それと、総理府のOBだ。これらの巻き返しには、凄まじいものがあった。

 「私の家にも、当初わけのわからない電話がきましたね。それから藤森君はもちろんのこと、山地君はなおさらきつかった。藤森君という人は非常に事務に堪能で公正で、しかも冷静な人ですよ。これが珍しく僕のところへ来て、とてもじゃないがどうにもならん、という訴えをしました。それくらい、省庁統合というのは具体化する段階では厳しいよ、ということです。役人そのものの将来がかかるわけですからね。吸収合併ではもう先がありませんから。こういうときは、役所の先輩、あるいは関連のあった政治家、こういう人が陰に陽に抵抗するということです。私は本当にこの時に初めて、役所の統廃合がどれくらい難しいかを痛切に感じました」

 後藤田は、佐倉尚・行政管理庁事務次官と鳩山邦夫・同政務次官に因果を含めて辞任させた。そして、総務庁の両次官を総理府から採った。政務次官は堀内光雄・総理府政務副長官、事務次官は山地進・総理府総務副長官だ。
 「山地君の場合は、なおひどかったんです。山地君自身は辞める気だったんです。彼はもともとは運輸省の局長をやり、総理府の人事局長をやった人です。それから総理府の事務の副長官をやっていたわけですから、もう辞めてもいいわけですね。日本航空の重役に決まっていたんですよ。だから私は、それはちょっと困る、1年我慢してくれ、と言って延ばしてもらったんです。それくらいの配慮を必要とする。それでも難しいな、というのが、省庁統合の具体化した段階での厳しさです」

 省庁統合の是非はさて措き、とにかく自民党は官僚の抵抗を排し、あるいはなだめ、当初の意思を実現させた。
 かたや民主党は、政権交代後、早々と公務員制度改革の意思を放棄した【注】。

 【注】「【震災】1人の官僚を切れば5人の失業者を救える ~『日本中枢の崩壊』~
    「【読書余滴】天下りは年功序列のなれの果て ~『官僚のレトリック』~
    「【読書余滴】なぜ民主党の公務員制度改革は頓挫したか?

 以上、後藤田正晴『情と理 ~後藤田正晴回顧録~(上下)』(講談社、1998)に拠る。
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