この森の所有者はだれか、わたしにはわかっている。
だが、彼の家は村の方にある。
雪の降り積もった森を眺めようと、
ここに立ち止まっているのは彼に見えないだろう。
わたしの小さな馬は不審に思っているに相違ない。
森と凍った湖のあいだ
近くに農家もないところに立ち止まるのを、
それも一年じゅうで一番暗い夕べに。
馬は何か間違ったことはないかと
馬具についた鈴を一ふり鳴らす。
あたりでほかに聞こえるものは
雪ひらを伴って吹きすぎる風の音ばかり。
森は美しく、暗くて深い。
だが、わたしには約束の仕事がある。
眠るまでにまだ幾マイルか行かねばならぬ。
眠るまでにまだ幾マイルか行かねばならぬ。
Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.
My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.
He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound's the sweep
Of easy wind and downy flake.
The woods are lovely, dark and deep.
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.
*
●訳注(安藤一郎)
フロストの詩のうちで、もっとも親しまれている詩の一つ。ニューイングランドの山地は冬季に深い雪で蔽われるので、フロストには雪の詩で優れたものが少なくない。あとに出てくる「冬のエデン」や「荒寥の地」もそうである。
ここの雪景色は、墨絵のように美しくて寂しい。しかし、単なる自然詩ではない--自然は人間のいる場面になっていて、焦点に馬がおかれている。この詩は「死」を象徴的に暗示しているとか、最後に「眠るまでは・・・・」を二度繰り返しているところにモラルがあるとか言う批評家もあるが、これを教訓的に解釈する必要はない。雪の降る森の美しさに接していても、そこに生活にたいする意識が自然と平行して浮かび上がってくる。そういう人間の営みの間に入ってくる自然こそ、ほんとうに美しく感じられるのである。
*
●J・L・ボルヘス(鼓直・訳)「2 隠喩」(『詩という仕事について』(岩波文庫、2011)から引用
そして、われわれは今ボストンの北にいるのですから、ロバート・フロストによる、恐らく知られ過ぎた詩を思い出すべきだと、私は思います。
The woods are lovely, dark and deep.
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.
「森は美しく、暗く、深い、
しかし、私には果たすべき約束がある、
眠りに就く前に歩くべき暗い道のりが、
眠りに就く前に歩くべき暗い道のりが」
これらの詩行は完璧そのもので、トリックなどは考えられない。しかしながら、不幸なことに、文学はすべてトリックで成り立っていて、それらのトリックは--いずれは--暴かれる。そしえ読み手たちも飽きるわけです。しかしこの場合は、いかにも慎ましいものなので、それをトリックと呼ぶのが恥ずかしいほどです(ただし、他に適当な言葉がないので、そう呼ばせてもらいます)。何しろここでフロストが試みているのは、誠に大胆なものですから。同じ詩行が一字一句の違いもなく二度、繰り返されていますが、しかし意味は異なります。最初の “And miles to go before I sleep.” これは単に、物理的な意味です。道のりはニューイングランドにおける空間としてのそれで、 sleep は go to sleep 「眠りに就く」を意味します。二度目の “And miles to go before I sleep.” では、道のりは空間的なものだけでなく、時間的なそれでもあって、その sleep は die 「死ぬ」もしくは rest 「休息する」の意であることを、われわれは教えられるのです。詩人が多くの語を費やしてそう言ったとすれば、得られた効果は遙かに劣るものとなったでしょう。私の理解によれば、はっきりした物言いより、暗示の方が遙かにその効果が大きいのです。人間の心理にはどうやら、断定に対してはそれを否定しようとする傾きがある。エマソンの言葉を思い出してください。 “Arguments convince nobody” 「論証は何ぴとをも納得させない」と言うのです。それが誰も納得させられないのは、まさに論証として提示されるからです。われわれはそれをとくと眺め、計量し、裏返しにし、逆の結論を出してしまうのです。
□ロバート・フロスト(安藤一郎・訳)「雪の夕べに森のそばに立つ」(安藤一郎・新倉俊一・訳編『ディキンソン・フロスト・サンドバーグ詩集 ~世界詩人全集12~』(新潮社、1968))
□Robert Frost “STOPPING BY WOODS ON A SNOWY EVENING”(“NEW HAMPSHIRE”,1923/“SELECTED POEMS”,PENGUIN BOOKS)
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だが、彼の家は村の方にある。
雪の降り積もった森を眺めようと、
ここに立ち止まっているのは彼に見えないだろう。
わたしの小さな馬は不審に思っているに相違ない。
森と凍った湖のあいだ
近くに農家もないところに立ち止まるのを、
それも一年じゅうで一番暗い夕べに。
馬は何か間違ったことはないかと
馬具についた鈴を一ふり鳴らす。
あたりでほかに聞こえるものは
雪ひらを伴って吹きすぎる風の音ばかり。
森は美しく、暗くて深い。
だが、わたしには約束の仕事がある。
眠るまでにまだ幾マイルか行かねばならぬ。
眠るまでにまだ幾マイルか行かねばならぬ。
Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.
My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.
He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound's the sweep
Of easy wind and downy flake.
The woods are lovely, dark and deep.
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.
*
●訳注(安藤一郎)
フロストの詩のうちで、もっとも親しまれている詩の一つ。ニューイングランドの山地は冬季に深い雪で蔽われるので、フロストには雪の詩で優れたものが少なくない。あとに出てくる「冬のエデン」や「荒寥の地」もそうである。
ここの雪景色は、墨絵のように美しくて寂しい。しかし、単なる自然詩ではない--自然は人間のいる場面になっていて、焦点に馬がおかれている。この詩は「死」を象徴的に暗示しているとか、最後に「眠るまでは・・・・」を二度繰り返しているところにモラルがあるとか言う批評家もあるが、これを教訓的に解釈する必要はない。雪の降る森の美しさに接していても、そこに生活にたいする意識が自然と平行して浮かび上がってくる。そういう人間の営みの間に入ってくる自然こそ、ほんとうに美しく感じられるのである。
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●J・L・ボルヘス(鼓直・訳)「2 隠喩」(『詩という仕事について』(岩波文庫、2011)から引用
そして、われわれは今ボストンの北にいるのですから、ロバート・フロストによる、恐らく知られ過ぎた詩を思い出すべきだと、私は思います。
The woods are lovely, dark and deep.
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.
「森は美しく、暗く、深い、
しかし、私には果たすべき約束がある、
眠りに就く前に歩くべき暗い道のりが、
眠りに就く前に歩くべき暗い道のりが」
これらの詩行は完璧そのもので、トリックなどは考えられない。しかしながら、不幸なことに、文学はすべてトリックで成り立っていて、それらのトリックは--いずれは--暴かれる。そしえ読み手たちも飽きるわけです。しかしこの場合は、いかにも慎ましいものなので、それをトリックと呼ぶのが恥ずかしいほどです(ただし、他に適当な言葉がないので、そう呼ばせてもらいます)。何しろここでフロストが試みているのは、誠に大胆なものですから。同じ詩行が一字一句の違いもなく二度、繰り返されていますが、しかし意味は異なります。最初の “And miles to go before I sleep.” これは単に、物理的な意味です。道のりはニューイングランドにおける空間としてのそれで、 sleep は go to sleep 「眠りに就く」を意味します。二度目の “And miles to go before I sleep.” では、道のりは空間的なものだけでなく、時間的なそれでもあって、その sleep は die 「死ぬ」もしくは rest 「休息する」の意であることを、われわれは教えられるのです。詩人が多くの語を費やしてそう言ったとすれば、得られた効果は遙かに劣るものとなったでしょう。私の理解によれば、はっきりした物言いより、暗示の方が遙かにその効果が大きいのです。人間の心理にはどうやら、断定に対してはそれを否定しようとする傾きがある。エマソンの言葉を思い出してください。 “Arguments convince nobody” 「論証は何ぴとをも納得させない」と言うのです。それが誰も納得させられないのは、まさに論証として提示されるからです。われわれはそれをとくと眺め、計量し、裏返しにし、逆の結論を出してしまうのです。
□ロバート・フロスト(安藤一郎・訳)「雪の夕べに森のそばに立つ」(安藤一郎・新倉俊一・訳編『ディキンソン・フロスト・サンドバーグ詩集 ~世界詩人全集12~』(新潮社、1968))
□Robert Frost “STOPPING BY WOODS ON A SNOWY EVENING”(“NEW HAMPSHIRE”,1923/“SELECTED POEMS”,PENGUIN BOOKS)
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