(1)外資系企業で働く人や外国人とのやりとりが多いビジネスマンには、キリスト教、中でもプロテスタントの教えを理解することがたいへん重要だ。
なぜなら、プロテスタントの考え方(プロテスタンティズム)こそ、国家や企業をはじめ、現在のグローバル社会の基本システムを作っているからだ。欧米のビジネスエリートの多くは、このプロテスタンティズムの論理に沿って生きている。
(2)プロテスタンティズムとは何か。最大の特徴は、
「神に救われる人は、生まれる前からすでに選ばれていて、名前が天国のノートに書いてある」
「一方で、滅びに至る人も、生まれる前に選ばれている」
「われわれは、それをあらかじめ知ることはできない」
人生の中でさまざまな試練に遭っても、「自分は選ばれた存在なのだ」と信じて耐えるしかない。そうすれば、どんな試練も乗り切ることができる。
あの人たちは、そういうふうに刷り込まれている。プロテスタント教徒は、死の間際、どんなに重い病で苦しんでも、「いい人生だった」と思いながら死んでいくのだ。
だから、プロテスタントの思想は、逆境に非常に強い。どんな理不尽に襲われようと、「これは神が与えた試練だ」と考えるし、また、「最後には私は救われる」と信じているから、決して諦めようとしない。
何かする時にも、自分の意思ではなく「神の意思だからやる」。教会に行くにしても、「神によって教会に来させられている」。
こういう考え方が、欧米のビジネスエリート、特に金融や実業の世界で成功した人びとのには共通している。
(3)プロテスタント教徒の思想を裏返すと、「イスラム国(IS)」の考え方と似てくる。「自分たちは選ばれた存在で、絶対に正しく、勝利が約束されている」という理屈だ。
中核派や革マル派も同じで、「われわれは絶対に正しい。いずれ革命は成就する」と信じている。
こうした目的論的で強力なエネルギーは、欧米のビジネスエリートが体得しているプロテスタンティズムとほとんど同じだ。
善し悪しは別として、世界にはこういった「思考の型」がある。
(4)プロテスタンティズムの論理は、実際のビジネスシーンにおいても役立つ。
<例>頑張っているのになかなか結果が出ない部下を励ますとき、「もっと頑張れ」と言うと、かえってプレッシャーを与えるかもしれない。「おまえはダメなやつだ」なんて言うと、部下は潰れてしまうかも。こういうときは、
「このまま辛抱していれば、結果は必ずついてくる」
「きっと大丈夫だ。君は選ばれた人間だ。適性があるんだから」
とか言って励ますのだ。
(5)プロテスタンティズムに代表される「一神教」の考え方を受け入れるのは、なかなか難しい、と考えている日本人は多いはずだ。自分は無宗教だ、と考えている日本人も。
日本人は、子どもが生まれると神社にお宮参りをして、結婚式はキリスト教式で挙げ、葬式は仏教式、というようなことを平気でやる。こうした思想をシンクレティズム(宗教混合)というが。このシンクレティズムの土壌があると、外国の文物を楽に受け入れることができる。
日本にはもともと八百万(やおよろず)の神様がいるのだから、そこにキリスト教の神様がひとり加わったところで、どうということはない。
そういうわけで、外来のものであっても、日本人はごく自然に包摂してしまう。
一方で、われわれは「超越的な存在がいる」とか「絶対的に正しいものがある」という考え方にはなじみがない。ISやキリスト教原理主義者の思考回路はもちろん、外国人の行動原理が日本人にいまひとつ分かりにくい理由のひとつは、この「超越」という概念を理解するのが難しいからだ。
(6)もうひとつ、一神教、特にキリスト教・ユダヤ教の考え方を知る上で重要なのは、
「罪」
の概念があるということだ。
日本の神道では、罪や穢れは浄めることができる。
しかし、キリスト教やユダヤ教では、一度犯した罪を消すことはできない。しかも、人間は生まれたときにすでに罪を背負っていると考える。「原罪」だ。
キリスト教には、理屈や論理を超えて、万民に等しく罪を負わせる、という側面がある。
こうした理不尽は、神道にはない。禊ぎや祓いをすれば、再びきれいになれる、と考える。だから、日本人は新年を迎えるたびに新しく生まれ変わったような気分になれる。昔の日本では、年を越すと借金がチャラになったので、借金取りは大晦日に必死に取り立てに回った。
新年のお祝いは、もちろん世界中にあるが、「新年を迎えると、全てが新しくなる」という観念はない。ましてや、罪や借金が消えることもない。
(7)ただし、同じ一神教でも、キリスト教とイスラム教の考える罪には大きな違いがある。
(a)キリスト教・・・・「原罪」の概念がある。「自分は絶対に正しい」と考える一方で、「そうは言っても、やっぱり間違っているかもしれない」という葛藤がどこかにある。本当に自分が神に選ばれているかどうか、知ることができないから。
(b)イスラム教・・・・「原罪」の概念がない。「自分は絶対に正しい。だからお前は絶対に間違っている」という理屈になる。同じ「絶対に正しいものがある」という思想を持つ宗教でも、「自分が間違っている可能性もある」ということが原理的に埋め込まれているか否かが、キリスト教とイスラム教の最大の違いだ。
□佐藤優「欧米のエリートとイスラム国の共通点 「ただ一つの神」を信じる ~社会人のための「役立つ教養講座」 第5回~」(「週刊現代」2016年3月26日・4月2日号)
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【参考】
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【佐藤優】「独断専行」のすすめ/中間管理職心得 ~役立つ教養④~」
「
【佐藤優】アレゴリーなど、インテリジェンスの技術 ~役立つ教養③~」
「
【佐藤優】20世紀はドイツの時代、フランスにないもの ~役立つ教養②~ 」
「
【佐藤優】金正恩の思考回路、なぜ水爆か ~役立つ教養①~」