どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

農業問題・蛇足2

2011-09-03 05:04:27 | インポート
お米の話しを。
稲の病気でもっとも嫌われているのがイモチ病。宮沢賢治も言っている真っ赤になる病気だ。

さて近所には稲の試験ほ場がある。最近ではコシヒカリの遺伝子の一部を壊した物とかすごいものが見られる。ただもっとすごいのは、陸羽ナンバーの品種の稲とか、世界的に有名な研究機関の稲が育っていたりする。
忘れられないのは、銀坊主だ。日本稲の歴史の中で、コシヒカリに匹敵するくらいの品種だ。この品種は日本の朝鮮併合以降朝鮮半島でも作られ、まあなんというかかんというかで安く作れた。これが日本に入って米相場を安値に押し下げて、タイミングよく日本で大不作。踏んだり蹴ったりの昭和初期の話しだ。これで東北や北陸が疲弊し、共産主義や社会主義の流行と、それに染まった軍部と官僚が面倒な事を起こすのは、偶然の一致かもしれない。
まあ、でも、まあ、いろいろ重なっているのは確かだ。
個人的に、安く買い叩かれた朝鮮半島の農民と巻き添えを食って不作なのに安く買いたたかれた東北は何か似ている。この事を思っただけで、右翼が嫌いになる。
でも銀坊主は食べた事が無い。育っているのは見れるのに残念だ。陸羽系もそうだ。
稲の品種改良は、イモチ病との戦いだった。その中で戦後生まれた藤坂系の超多収量系品種は、まずかった。でもタンパク室が20%以上でけっこういい米だったかもしれない。
そこにうまいけど、イモチ病に弱い品種が登場。ササニシキとコシヒカリ。特にコシはイモチに弱かった。それを生育管理でなんとか出来るようになり、うまくするための肥料計画まで完璧に出来るようになった。機械化や育苗のコントロールまで完璧になった。コシで出来るんならどの品種でも出来る。そういった状態にいまある。
ササニシキはその点で少し出遅れた。平成4年の大凶作で露骨に欠点が現れた。そこで宮城・岩手がひとめぼれに変わる。残念な事にササニシキは急激に衰退した。
その後ササニシキは、イモチ病耐性を強化した「ササニシキBL」になるのだが、味が違うと言われて名前を変えてササロマンのなるのだが、やっぱりダメになる。実際ササニシキBLは何か違う。
何が起きたかと言えば、食味の変化だ。しかも受け取る側の問題だ。コシの味の濃さに慣れてしまったうえに、これは個人的な意見だが、ひとめぼれは適度な歯ごたえ、言い換えれば柔らかさが高齢者にウケたのだろう。もはやササニシキは絶滅危惧種だ。
さてコシヒカリはどうなったかと言えば、新潟県が絶対のブランドとして強化した。そしてイモチ病対策でやっぱり品種改良して、「コシヒカリBL」を作り上げた。そして全県上げて一気に広めて低農薬化を実現した。味も本当に遜色ないので、旧来のコシヒカリは福島や栃木県産に残っていると思う。新潟でも魚沼は残しているだろう。
調べていないけど。
なおコシヒカリはよくわからない品種で、茨城と埼玉と福島とで微妙に違うらしい。昔懸賞で魚沼産のコシヒカリをゲットした事があったが、やっぱりその後同じ味に出会っていない。近いのは福島・会津の有機栽培・無農薬(天才の米です。でも魚沼産より圧倒的に安い)しかない。
私が好きなのは、あきたこまちだ。おいしいし、歯ごたえがある。秋田県より岩手の方が好きだ。秋田の方が優しい歯ごたえだからだ。品種的には炊く時の水分量が間違っていてもおいしいこと。ひとめぼれはこれが欠点だ。ベストのひとめぼれは確かにウマい。でも間違うと…。あきたこまちは生産量が落ちていて、いいのが少なくなっている。岩手の沢内村のはうまかった。でも入手出来ない。
最近ササニシキ、BLでないササを手に入れられそうだ。努力しなければ。
人の事はいっぱい文句いいながら、自分の食の保守性だけはもう何ともしがたい。あのあっさりが、どんなに食べても飽きないササニシキ!サンマとササニシキ!
僕の青春を返せと言いたくなった。


漁業問題

2011-09-03 03:18:35 | インポート
ちょっと話しをすり替えて、漁業問題。実は農業問題ともかぶる。
漁業は、世代交替をうまくいっていたのだが、うまく行かなかった例かもしれない。特に東北の漁業はそうだ。
例えば宮城県の漁業が解りやすい。
戦後遠洋マグロやクジラに若い者がゆき、金をかせいでそれを元手にして老人は養殖や近海漁業で稼いだ。
問題はそこからだ。遠洋漁業にどんどん規制がかかって行く。また若いのも結婚して近海に戻ってきた。そのうえ近海漁業の不漁。遠洋漁業は衰退し、若い物も船に乗らなくなる。ちょっと前のサイクルが機能不全になった。
そこに技術革新、魚群探知機の小型化が進んだ。
乱獲とは言わない。ただコモンウエルの悲劇に近くなった。そこで一本釣りとか漁船で魚の手当とか作業が増大して行く。養殖事業も盛んになる。しかしだ、縮小がはじまった状態では新規参入から事業の継続まで怪しくなって行く。
そしてだ、過去の理想的サイクルの成功体験が忘れられない。生活は羽振りがよかったままで過ごす。そのコストが子供でも解るくらいに大変になる。結果跡継ぎが更にいなくなる。少子高齢化が更に輪をかける。
この状況で、漁業権という既得権益にこだわらない方がおかしい。
もの凄く悪口を言っているが、客観的に言えばそうなる。なぜ港町でパチンコ屋が繁盛するのか、これだけで十分だろう。
とはいっても解る所がある。岩手の種市で漁業すべての天才にあった事があったからだ。個人事業者の集まりの中で天才がいたらそれはもう、戦うしか無いだろう。でもほとんどが負け続けるのだ。これは岩手のような共同体でもそうだと思う。もちろん周りはノウハウを聞く。しかし理解出来ない。養殖は何とかなるが、あそこに魚がいるみたいなロジックは解らない。
でもだれもが板一枚のプライドは絶対譲れない。この気持ちはとてもよくわかる。
さて今回の震災で、岩手県・宮古市の重茂漁協が団結した。船の共同使用、養殖事業での団結。この決断は大きい。将来的に、近海漁業と養殖事業の組み合わせと、世代交替の可能性と効率化を目指して、ノルウェーに匹敵する漁業基地になってもらいたい。この決断で、成功する可能性はある。