さてちょっと盛岡市太田地区に行ってみました。国道46号線上、ここはよくあるショッピングモールの風景。盛岡にもしっかりとインターチャンジ脇にイオンがあります。しかしここの地名は盛岡市前潟。イオンの裏に行ってみましょう。
わあ!こまちだ!秋田新幹線が通っています。つまりイオンの裏から先にはあまり建物がありません。田んぼが多いかな~。
さてイオンの南側には雫石川が流れています。この橋を渡ると太田地区です。こんな具合。田んぼと点在する家。このまばらな感じが太田地区の特徴です。でも高速道路の西側はもっと田んぼだらけになります。
このあたりが、農地法、農業振興法、都市計画法の問題点。そこに大店舗法が絡んできています。特に農業振興法の影響は大きいかな。ここから太田橋に向かいます。昔この太田の豪農が、木造の橋を架けさせたという話しがあります。立派な人だったんですね。
この太田橋から雫石川の河川敷を見ると奇妙な光景に巡り会います。サイクルロードはどこにでもある風景ですが、なんかいろいろ施設が見えたり、明らかに耕作地が多かったり、林になっていたりしています。
雫石川は一級河川なので国土交通省直轄の河です。土手から河川敷まで国有地なはずです。そして河川が氾濫したとき流木とかで下流に被害のおよばないよう樹木が生い茂っては行けないのですがどういった事なのでしょうか。
実はこここそが土地権利の錯綜している地域なのです。この近辺には他にもあるようなのですが目立つのはここ。
こうなった説には二通りあります。一つは敗戦後、満州からの引揚者を盛岡の兵舎で生活してもらったのだが、仕事がないのでこの河川敷を一旦解放して、農地にしてしまった。このためちいさく数多いブロックで利用権が発生し手がつけられなくなったという説。
次が愉快な伝説で、被害にあった人は悲惨な事なのですが、引揚者の中に相当頭のキレるやつがいたようで、米軍払い下げのブルトーザーを買って無任所地や所有者はいるのだけど戦後でまだ帰ってきていない人の土地を‘開墾’と称して荒らしまくり、利用権を主張したのがいたそうです。5人ぐらいいたらしいです。当然使える河川敷や中州まで手を付けていたようです。現在確実に解っているのは、北上川に浮かぶ蛇の島です。この島に遊園地を作っちゃったくらいで、相当荒稼ぎをしたみたいで、市議会選に立候補して議員になったようです。ただ悪銭身に付かずで、法整備が進むにつれ困窮し最後には破産して自殺したと聞いています。
この時の利用権が細かく分散し、手が付けられなくなっているという説も聞いています。
盛岡にはそういった伝説を持つ土地が、後一つありますがそのうち。これは農地ではありません。なんか戦後ドサクサ遺跡として誰か認めないかな~。私は遺跡として認めますけど。最高です。そのうち。