どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 本町北山愛宕2

2011-09-17 13:27:55 | まち歩き
1をアップしたらすかさずスパムが来た。何か凄い。
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昔の学校あとだと思う。

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さてその学校跡、使用しているのはホームスパンで有名なみちのくあかね会。日本のホームスパン生産の90%が岩手県。その中でも多くの生産量を誇る会社だ。つまり極めてニッチな業界での大企業。見えませんね。なにしろマニュファクチャリングそのものの生産ですから。

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近くには三ツ石神社があります。この巨石に昔盛岡を荒らした鬼が、もう二度と来ませんといって手形をつけたという伝説がある。ここから岩手が出来たという。また盛岡のお城や盛岡を不来方ともいうが、鬼が来ないという意味でもある。さんさ祭りもこの神社が関わっている。鬼が逃げたのをさんさと喜んで踊ったのが、さんさ踊りの起源ともいわれているからだ。ただ三十三の踊り方があるからさんさとか、いろいろ説はあって確定はしていない。
本当は一個の巨石だったらしいが、三つに割れてしまったらしい。巨石にかけている鎖は、どうも崩壊防止のようでもある。

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この辺りは北山。城下町によくある寺町だが、中心がはっきりしていない。取り残された家がなんとも言えない。

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寺町の通りは、宮古へ向かう街道でもあるのでかなり整備されている。
城下町は戦争があるとき、家臣たちが一時集結するために寺が使われていた。このため城下町と寺町はきっても切れない

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多分ここが中心なのだろうと思われるのが、報恩寺。とはいっても南部家の菩提寺はここではないので、寺の序列はますますよく解らなくなる。

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ここにある五百羅漢はサイズこそ大きめのひな人形程度と小さいが、一気に作ったのが特徴。中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハーンも羅漢に加わっている。なにか変だが、羅漢というカテゴリーから行くと何でも有名人は、なれるのだろうか。弘前でもフビライは見たので、ここだけという訳では無さそうだ。
とりあえず、なんでも神になったりする国なので、この際目をつぶろう。

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報恩寺の山門の石畳。日も暮れてきました。


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山門の前には花の無人販売所が。ベンチが微笑ましいです。ベンケイソウの花が200円と高値です。しかし相当田舎に見えますが、ここは県庁から1キロ程度です。

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火葬場への道です。盛岡の火葬場は県庁から1.4キロしか離れていません。ちょっと近すぎると思うんですが、コンパクトシティという事で。

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もっときれいな所を紹介するべきだと思うのですが、こういった物件の混在ぶりが盛岡。

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ここが県庁から5キロはなれているならまだ解る。

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昔の用水路。つまりこの辺りは寺と田んぼだったんですね。

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さて愛宕町に戻ってきました。やっぱり道路が狭い。こんな所のマンションって、火事が起きたらどうするんだろう。それにしても手前の商店とのコントラストがすばらしい。

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明らかに昔藁葺きだった家。ずいぶん小さいですね。

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ようやく見た事のある道に戻って来れました。実は学校の跡を使った、針金細工の店があったはずなのですが見つけようとさまよいましたが無くなっていました。

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公園です。でもどう見ても私的な設備にしか見えません。盛岡はこういった公園が多い。防災計画という言葉があるのだろうか?

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本町に戻ってきました。これは植木屋さんの物置。近所には広大な駐車場があります。向こうのマンションとのコントラストが見事です。

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進んで行ったら急に行き止まり、と思いきや歩道で繋がっているようです。

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裏通りからメインストリートに向かうとやっぱりにぎわいが違います。くどいようですが、本町はとっても便利な立地条件です。でもなんかこうなっているのが盛岡。

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また同じ山車と遭遇。近所を丁寧に回っていたようです。

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山車を見送ります。渋滞が起きてます。

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さて仁王町に戻ってきました。秋ですね。道に迷わなくて済むのでホっとします。
こういった具合でひねくれた観光案内をすすめて行きます。よろしく。



盛岡私的観光案内 本町北山愛宕1

2011-09-17 12:14:50 | まち歩き
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新企画のまちあるきです。よろしくお願いします。
さて私の住んでいる所は旧上田村。とはいっても旧市内との境はすぐそば。写真は三戸町付近。南部藩は三戸町から盛岡に引っ越したので、こんな町名がある。

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仁王町です。城下町特有の鍵形に道が曲がっています。

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ちょっと脇に入ると、廃墟が。盛岡駅まで15分の物件です。

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鍵形の所には、地蔵様がいます。江戸時代には、城から北東方向に当たるため、仁王様がいました。そこでここいらは仁王町。記憶にある限り、何代目かの藩主がいやがって仁王様は玉山村に左遷され、維新後地元住民が地蔵様を誘致したようだ。

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この近くには岩手県で一番古い小学校がある。その裏門のあたりにも魅力的な物件があります。

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八幡のお祭りに遭遇。鍋島藩の化け猫ですが、怒るネコバスにしか見えない。

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寄附をいっぱい出してくれた所には、言祝ぎがあります。終わった後にこうして印が付けられて行きます。ハナマル印もあったりするのですが、いくらなんでしょうね。

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すこし脇に入ると、広大な駐車場と小さな神社が。9/18が例祭のよう。大昔はこのあたり田んぼだったようなニュアンス。

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またしてもお祭りに遭遇。すごい人数ですが、寄附集め要員がかなりいます。通り道からその裏裏まで戸別訪問して寄附を募ります。寄附すると山車の画が書かれたポスターと、最近では後日お礼状がきます。山車を出すのに台所は相当苦しいようです。
この辺りは油町だったか?

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関西人が見たらビックリするだろうな。「おかんの墓」の看板。

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なんでも、福岡藩(現在の二戸)の家臣の娘おかんが、南部藩との争いに負けて同郷の男と結婚して、盛岡城普請の人夫として働くが、夫が事故で働けなくなり零落。人夫頭がおかんにいいよってくるが、断り続けたため夫が危険になる。そこでおかんは変装して夫の身代わりに殺されてしまうという、貞女物語だった。
その墓のある大泉寺。このあたりは紙町だったか?

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昔の作り酒屋。盛岡でもかなり立派な商家。裏には大きな倉が2つもあったが取り壊してスーパーになってしまった。

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よく写真を撮られる荒物屋。店頭の配置に何か美学がある。もう少し立つと店頭にリンゴが並ぶ。

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さて裏に回ります。この辺りは愛宕町です。県庁まで歩いて10分、スーパーまで3分の物件です。

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愛宕町はとにかく道が解らない。あっという間に道に迷っています。火事が起きたらどうなるんだろうという道。

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いい感じです。

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三角形の土地にあわせて立てられた平屋。中が見てみたい。

こんな具合で、グタグタと2に続きます。