1をアップしたらすかさずスパムが来た。何か凄い。
昔の学校あとだと思う。
さてその学校跡、使用しているのはホームスパンで有名なみちのくあかね会。日本のホームスパン生産の90%が岩手県。その中でも多くの生産量を誇る会社だ。つまり極めてニッチな業界での大企業。見えませんね。なにしろマニュファクチャリングそのものの生産ですから。
近くには三ツ石神社があります。この巨石に昔盛岡を荒らした鬼が、もう二度と来ませんといって手形をつけたという伝説がある。ここから岩手が出来たという。また盛岡のお城や盛岡を不来方ともいうが、鬼が来ないという意味でもある。さんさ祭りもこの神社が関わっている。鬼が逃げたのをさんさと喜んで踊ったのが、さんさ踊りの起源ともいわれているからだ。ただ三十三の踊り方があるからさんさとか、いろいろ説はあって確定はしていない。
本当は一個の巨石だったらしいが、三つに割れてしまったらしい。巨石にかけている鎖は、どうも崩壊防止のようでもある。
この辺りは北山。城下町によくある寺町だが、中心がはっきりしていない。取り残された家がなんとも言えない。
寺町の通りは、宮古へ向かう街道でもあるのでかなり整備されている。
城下町は戦争があるとき、家臣たちが一時集結するために寺が使われていた。このため城下町と寺町はきっても切れない
多分ここが中心なのだろうと思われるのが、報恩寺。とはいっても南部家の菩提寺はここではないので、寺の序列はますますよく解らなくなる。
ここにある五百羅漢はサイズこそ大きめのひな人形程度と小さいが、一気に作ったのが特徴。中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハーンも羅漢に加わっている。なにか変だが、羅漢というカテゴリーから行くと何でも有名人は、なれるのだろうか。弘前でもフビライは見たので、ここだけという訳では無さそうだ。
とりあえず、なんでも神になったりする国なので、この際目をつぶろう。
報恩寺の山門の石畳。日も暮れてきました。
山門の前には花の無人販売所が。ベンチが微笑ましいです。ベンケイソウの花が200円と高値です。しかし相当田舎に見えますが、ここは県庁から1キロ程度です。
火葬場への道です。盛岡の火葬場は県庁から1.4キロしか離れていません。ちょっと近すぎると思うんですが、コンパクトシティという事で。
もっときれいな所を紹介するべきだと思うのですが、こういった物件の混在ぶりが盛岡。
ここが県庁から5キロはなれているならまだ解る。
昔の用水路。つまりこの辺りは寺と田んぼだったんですね。
さて愛宕町に戻ってきました。やっぱり道路が狭い。こんな所のマンションって、火事が起きたらどうするんだろう。それにしても手前の商店とのコントラストがすばらしい。
明らかに昔藁葺きだった家。ずいぶん小さいですね。
ようやく見た事のある道に戻って来れました。実は学校の跡を使った、針金細工の店があったはずなのですが見つけようとさまよいましたが無くなっていました。
公園です。でもどう見ても私的な設備にしか見えません。盛岡はこういった公園が多い。防災計画という言葉があるのだろうか?
本町に戻ってきました。これは植木屋さんの物置。近所には広大な駐車場があります。向こうのマンションとのコントラストが見事です。
進んで行ったら急に行き止まり、と思いきや歩道で繋がっているようです。
裏通りからメインストリートに向かうとやっぱりにぎわいが違います。くどいようですが、本町はとっても便利な立地条件です。でもなんかこうなっているのが盛岡。
また同じ山車と遭遇。近所を丁寧に回っていたようです。
山車を見送ります。渋滞が起きてます。
さて仁王町に戻ってきました。秋ですね。道に迷わなくて済むのでホっとします。
こういった具合でひねくれた観光案内をすすめて行きます。よろしく。
昔の学校あとだと思う。
さてその学校跡、使用しているのはホームスパンで有名なみちのくあかね会。日本のホームスパン生産の90%が岩手県。その中でも多くの生産量を誇る会社だ。つまり極めてニッチな業界での大企業。見えませんね。なにしろマニュファクチャリングそのものの生産ですから。
近くには三ツ石神社があります。この巨石に昔盛岡を荒らした鬼が、もう二度と来ませんといって手形をつけたという伝説がある。ここから岩手が出来たという。また盛岡のお城や盛岡を不来方ともいうが、鬼が来ないという意味でもある。さんさ祭りもこの神社が関わっている。鬼が逃げたのをさんさと喜んで踊ったのが、さんさ踊りの起源ともいわれているからだ。ただ三十三の踊り方があるからさんさとか、いろいろ説はあって確定はしていない。
本当は一個の巨石だったらしいが、三つに割れてしまったらしい。巨石にかけている鎖は、どうも崩壊防止のようでもある。
この辺りは北山。城下町によくある寺町だが、中心がはっきりしていない。取り残された家がなんとも言えない。
寺町の通りは、宮古へ向かう街道でもあるのでかなり整備されている。
城下町は戦争があるとき、家臣たちが一時集結するために寺が使われていた。このため城下町と寺町はきっても切れない
多分ここが中心なのだろうと思われるのが、報恩寺。とはいっても南部家の菩提寺はここではないので、寺の序列はますますよく解らなくなる。
ここにある五百羅漢はサイズこそ大きめのひな人形程度と小さいが、一気に作ったのが特徴。中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハーンも羅漢に加わっている。なにか変だが、羅漢というカテゴリーから行くと何でも有名人は、なれるのだろうか。弘前でもフビライは見たので、ここだけという訳では無さそうだ。
とりあえず、なんでも神になったりする国なので、この際目をつぶろう。
報恩寺の山門の石畳。日も暮れてきました。
山門の前には花の無人販売所が。ベンチが微笑ましいです。ベンケイソウの花が200円と高値です。しかし相当田舎に見えますが、ここは県庁から1キロ程度です。
火葬場への道です。盛岡の火葬場は県庁から1.4キロしか離れていません。ちょっと近すぎると思うんですが、コンパクトシティという事で。
もっときれいな所を紹介するべきだと思うのですが、こういった物件の混在ぶりが盛岡。
ここが県庁から5キロはなれているならまだ解る。
昔の用水路。つまりこの辺りは寺と田んぼだったんですね。
さて愛宕町に戻ってきました。やっぱり道路が狭い。こんな所のマンションって、火事が起きたらどうするんだろう。それにしても手前の商店とのコントラストがすばらしい。
明らかに昔藁葺きだった家。ずいぶん小さいですね。
ようやく見た事のある道に戻って来れました。実は学校の跡を使った、針金細工の店があったはずなのですが見つけようとさまよいましたが無くなっていました。
公園です。でもどう見ても私的な設備にしか見えません。盛岡はこういった公園が多い。防災計画という言葉があるのだろうか?
本町に戻ってきました。これは植木屋さんの物置。近所には広大な駐車場があります。向こうのマンションとのコントラストが見事です。
進んで行ったら急に行き止まり、と思いきや歩道で繋がっているようです。
裏通りからメインストリートに向かうとやっぱりにぎわいが違います。くどいようですが、本町はとっても便利な立地条件です。でもなんかこうなっているのが盛岡。
また同じ山車と遭遇。近所を丁寧に回っていたようです。
山車を見送ります。渋滞が起きてます。
さて仁王町に戻ってきました。秋ですね。道に迷わなくて済むのでホっとします。
こういった具合でひねくれた観光案内をすすめて行きます。よろしく。