どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 長田本町3丁目2

2011-09-26 20:56:57 | まち歩き
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さて続けます。


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どこから飛んできたのでしょうか、ドロノキ。家に植えてはいけない木ですが。


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駐車場にエダマメを植えています。なんか昔田んぼだったからかな。


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鍼灸師の家ですね。サザエ鍼灸院というらしい。


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なぜか畑がある。この前の家では無農薬野菜を売っているが、ここで作っているのか?


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通りに面して、すし割烹の重兵衛。この辺りは同業の「一力」とかいい店が多い。


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盛岡名物福田パン。大きめのコッペパンにあんこやバターを挟んでくれる。挟んでくれるものの種類は多い。昔ローリエという謎な挟むものがあったが、今は無い。罰ゲームに使えた。あとあり得ない組み合わせを頼む事も出来る。やろうと思えばポテトサラダにピーナッツバターとか出来る(はずだ、昔は出来た)。
類似の商売は青森のむつ市大湊にもあるが、福田パンのパンそのものが独特。あれはパンではなく福田パンという食品だと言い切る人もいる。なお福田パンの食パンは昔なじみのおいしさ。
最近穀物相場のせいか、やや小さくなった。


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夕日がきれいです。


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盛岡の町は狭いので、駐車場が所々にあります。オフィス街に近いので、本町3丁目あたりはかなり多くなっています。


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謎の小道。昔の農業用水を暗渠にした所とかが、こんな感じで道になっています。


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マンションにアパート。オフィスビル。そして住宅。いろんなコントラストがあります。


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このまま空飛んでトランスフォームしそうなマンション。


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とはいえ盛岡です。混在ぶりが楽しいです。


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きれいな住宅が多いです。お金持ちが多そうです。


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駐車場に取り残された家もあります。


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これは隣の町内。すし屋さんは、昔の盛岡の商家の最小単位的な建物。


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ここにはマトモな公園があります。向かってみます。


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岩手山神社の公園。これなら避難所にもなる。この滑り台を見る度写真を撮ってしまう。


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左が岩手山神社。右が熊谷稲荷。なんで並んでいるのかはよくわからない。なおここを起点に、奥州街道を北に、分かれから岩手山に向かうとまた岩手山神社が、山頂には社が、お鉢には奥の院がありますが、お鉢をぐるっと回って地蔵様が並びます。江戸時代に担ぎ上げたものだそうだ。


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公園のそばには、自民党岩手県連があります。いまでこそ民主党王国の岩手ですが、昔は自民党王国。岩手県の政治の中心がここでした。


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いろんな建物が混じります。


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ほんと多様です。


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ちいさな社もあります。写真ではないのですが社のある個人宅もあります。


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石川啄木新婚時代の家が残されています。これは建物の裏。


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啄木は天才だったと思いますが、こうして新婚時代の家まで残っているのは不思議です。上田三丁目には奥さんの節子さんの実家跡も特定されています。ただ八幡平市大更にある叔父の家跡に、民間人が看板を立てているのはどうなのだろうか。


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広く見えますが、大家族でこの中にいたとは、確かにやりきれないかもしれません。短歌の天才ですが、同時に借金の天才・踏み倒しの天才、そして遊び人。この点に憧れるのは、私だけでしょうか。


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ここが啄木のいた4畳半。実は勝手口が隣についています。
歌以外に財産を残さなかった啄木なので、こうして生前の跡が残されているのでしょう。


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実はすぐそばに、同形の家が朽ちて立っています。多分こういった形の貸家が並んでいたのでしょうか。


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近所には県民生活センターが。啄木への面当てでしょうか。
そんな事は無く、実は盲学校があった場所に立てられたもの。柴田魁三という方が、日露戦争で失明しその後ここに私立で盲学校を建てた。それだけではなく福祉全般に尽力した人です。県民生活センターがあるのも納得。


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畳屋さんが。ちょっと下町臭さを感じます。


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いろんなものが混じり合った町です。


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ここは駅前の道から中央通に出るために、かならず通る交差点。なので一等地なのですが現在看板一等地になっています。昔は角地は高かったものですが、現在では道路交通法の関係で、交差点から10メートルはなれていないと車の出入り口が作れないので駐車場が作りにくく、価値が薄れているようです。


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中央通から、本町三丁目です。裏側と表をみれば、そのないまぜが面白く見えてきます。


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中央通から長田町をみます。角のタバコ屋のおじいさんがいい味です。岩手山がよく見えます。ここから見る岩手山も好きです。


盛岡私的観光案内 長田本町3丁目1

2011-09-26 03:14:15 | まち歩き
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山田線の跨線橋から長田町を見ています。やっぱりアパートが多いです。昭和40年まで田んぼが多かった地帯です。



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ちょっと目立つ所にある中華屋。コンクリートブロックの外壁の建物。今では作っちゃいけない建物。昔和菓子職人の親父に連れて行かれた事があった。味は悪くはなかった。22年前だが。


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この町は、道に迷うためによく散歩した。あまりにも道に迷うので楽しかったのだが、やっぱり覚えてしまった。もう迷う事は無い。


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跨線橋の階段付近。変電所がある。ヤクルトもある。


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山田線沿いのすすき。今年の十五夜は何か早かった。すすきが今頃出てきている。


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この辺りは学校が集中している。幼稚園、小学校、私立岩手中学・岩手高校がある。


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さて、ここには大きなお屋敷がある。平成19年に寄贈された、武田邸である。まだ人が住んでいるので、庭園だけの解放だが、5月から11月の第二・第四土曜日、午後1時から4時まで解放している。入園料は無料。
実はたまたま偶然だった。気持ちが定まらないレポートになるが、勘弁して欲しい。


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門をくぐって、あっ!という驚き。盛岡では滅多に無い庭を予感させます。しかし足下の石組みがなんとも、おかしい。


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さてこの家、武家かどうかよくわからないのだが、鹿島建設の顧問技師だった横浜勉氏が立てたもの。この場所は彼の生家だった。横浜勉氏は建築家と知られているが鉄道技師でもあった。全国を渡り歩いて、様々な資材を買い付け保管していたようだ。その資材を使って昭和25年に竣工したもの。でないとあの時代物資が不足して、こんな建物は作れない。修理は重ねて来ているのだろうが、なかなかここまでよく保存されている家は少ない。


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気になるのは灯籠。かなり良さそうな灯籠があるのだが、妙にある。


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庭園は江戸末期に横浜家が京都から庭師を呼んで作らせたもの。相阿弥という江戸前期の庭師の図面に、似た庭があるらしい。問題はこれを寄贈された盛岡市。公園緑地課ががんばっているようだ。OBもボランティアで参加しているようだ。確かにこの庭は参加したくなる。五葉松がいい感じの庭だ。


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池の飛び石の意匠がうれしい。ここで何人子供が池に落ちた事か。池は地下水のくみ上げで維持してきたが、今回の震災で水脈が動いたようで、水が潤沢に流れなくなったという。もう少し水を張れば、もっとよく見えると市の職員が言っていた。


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本当に灯籠が多い。屋敷全体を木立が覆っており、要所要所に灯籠が欲しかったのだろうがよくわからない所にもある。池のそばのこの灯籠はなんかかっこいい。


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やっぱり茶室がある。これは待ち合い。ただ手水がない。流派とかいろいろあるとは思うが、それらしきものも無い。多分この庭は、代々の中でいろいろいじられてきているのだと思う。灯籠も新しく買ったものとかいろいろで、試行サグゴしてきたのではないのかと思う。


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茶室です。とてもいい感じです。


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客が入るにじり口までには手水がないのに、なぜか亭主の入る方にはある。
中を見てみたいです。

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ここだけ道の石組みが考えられている。あとはどう考えても適当だったり、侘び茶といってもあまりにも丸い玉石とか、その配置とか変な道が多い。


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土蔵と灯籠。


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庭正面から目立つ灯籠。いい感じです。


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母屋の建具が立派です。でも灯籠と手水の配置が何とも言えません。多分手水はここではなかったかと思います。


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ここで手を洗うためには、回り道が必要です。ただ石はいいです。


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庭に降りる段の石。気合いが入っています。


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縁側と庭の一部を見る。


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山門の屋根に釘が浮いているのが見える。多分屋根を銅で葺いた上に、釘の出方からすると桧皮ぶきにしたのではないのかと推察する。桧皮が腐って落ちてしまったのだろう。待ち合いの屋根もそうだった。ただ桧皮ぶきは丸釘は使わなかったと思うので、これは何なのだろうか。大工がよくわからなかったという事なのだろうか。


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武田邸の脇。砂利道である。本当に木で囲まれて中が伺い知れない邸宅であった。時間がギリギリだったので味わい尽くせなかったが、ここはもう一度撮り直したい。


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向かいには鍼灸師の専門学校があります。かなり立派な建物です。


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武田邸の隣には、これまた大きな農機具屋さんです。武田さんとは関係ないそうです。


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さて河北小学校。ここのグランドは奇怪です。三角形です。写真はその頂点で見ています。何でこうなったのかは解りません。


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もう紹介した岩手高校。商業地域なんだけど、文教区でもあったりする長田町です。


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盛岡ですからこういった風景もあります。


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モルタルの造形がいいと思うのですが。


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小さい土蔵。何気なく駐車場。駅まで10分。

道には迷わなくなりましたが、ちょっとこの町の書き方はこれでいいのかと迷い始めました。だから続く。


秋の夜長の実験3・パンを焼く

2011-09-26 01:35:08 | インポート
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急に発酵の泡が消失。さてどうした事かと、容器に移し替えて、砂糖大さじ1杯と小麦粉を投入。これで救えるか?


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半日で、ボコボコっと発酵。いったんかき混ぜて、しばらく放置しても発酵が続く。パン種の出来上がり。


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パン作りに進みます。国内産強力粉ゆきちから500gに、塩4g砂糖20g、さっきの発酵しているのに水を加えて280gの水分量を投入捏ねます。


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見た目固そうな捏ね上がりです。この粉ですが、ネバつくのでキッチリした作業台が無ければ、水分量はあまり入れれません。さらに麦汁の酵素を殺していないので、ただでさえダレつきやすい粉なのに、更に生地のダレ付きが予想されます。なのでかなり固め。


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一時発酵が終わって、生地の2/3で成形します。既に生地がだれています。

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2次発酵の時間に、二回目の生地を作りました。同じ粉500gに塩4g、砂糖30g、牛乳285g、さっき残していた生地の残りをよく混ぜ合わせます。よく練ったら最後によもぎ粉を混入。一次発酵はさっきより長めに、3時間とりました。

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さて2次発酵が終わりました。案の定ダレています。ここまでダレていると2次発酵終了の目安がつきません。210度で25分焼いてみます


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出来上がりは、2次発酵不足の重いパンです。ただ思ったよりホップの苦みが弱く、麦汁の匂いも気になりません。カソリックの聖体拝領の時のパンに似ています。


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さて最終目標のよもぎパンの事前実験です。一次発酵2次発酵ともに長めで無ければ行けない。粉の練り方ももう少し強めがいいかもしれない。バターを入れるので、水分量は少なめに、でしょうか。
ただ、麦汁の匂いとよもぎの匂いが重なると、匂いはイマイチです。こうなるとは思っても見なかった。