どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

農業問題10

2011-09-08 17:11:38 | インポート
安全・安心という言葉がある。しかし実態はどうなのだろう。すべてのものにはなんらかのリスクがあるのではないのだろうか。
消費者が農産物を選ぶ場合、無農薬というのは大きいだろう。それでは農薬とはどういったものなのだろうか。大まかに分けて殺菌剤と殺虫剤がある。殺菌剤には保護型と浸透性型がある。保護型は植物の表面について菌の侵入を防ぐ。浸透性型は植物体の中に入った菌を殺すのが目的だ。それぞれ菌の特性に応じて作られている。殺虫剤も、浸透性・持続型のものと即効性のものがある。浸透性は植物を食べた昆虫が死ぬように出来ている。効果が長時間続く。即効性のものは、昆虫に薬剤がかかって効果が出るものだ。これも昆虫の生理作用にあわせて設計されている。
あとは除草剤がある。これも植物の生理作用にあわせて作られている。かなり危険なものもあったが、最近ではそういったものは嫌われている。むしろ家庭用のゼニゴケ退治とかスギナ枯らしなんかに危険なものがある。
浸透性の農薬は危険なように思われるが、一定期間が過ぎれば植物が農薬を消化してしまうように出来ている。
毒性は、実は殺菌剤のほうが強い、これは昆虫のほうがより進化したものだから、生理作用点がはっきりしているためだ。この毒性だが、全体でみればかなり低くなっている。これはやはり農薬に対する批判が大きいから、開発が慎重になっているからだ。また認可も厳しくなっている。
今では残留農薬検査があるので、農薬散布も難しくなっている。隣同士の畑で違う作物を育てる場合、その植物に認可されていない農薬がかからないよう、障壁を作るなどの対策が必要になっている。出荷期を調整している場合、収穫直前の作物にかからないようにしなければ行けない。
ただこのポジティブリストのため、新しい作物や雑穀のように復活した作物などでは、認可された農薬が無い。また農薬会社もそういったマイナー作物には至って無関心で、試験しようとしない。
実は無農薬栽培用の農薬と言う、訳の分からないものもある。基本的に自然由来の物質を合成したものの中から特に安全なものが選ばれる。例えば除虫菊由来のピレトリンは、光で分解してしまう。リンゴの消毒剤、あの空気が白くなるほど撒くので悪名高い有名なボルドー剤は、銅イオン剤なので無農薬栽培指定農薬になっている。ヘタの所に白く残っていたのは実は石灰分。逆に、木酢液は安全だと言われているが、フェノール類を含むので本当に安全か疑われている。
私は農薬に対しては、嫌悪感をもっていない。確かに60年代や70年代の問題はあったが、今ではかなり安全になってきた。だがそれでも、使いすぎたり誤った使い方をした場合は別だ。さすがに昔のような使い過ぎは減ってきていると思うが、使い過ぎは環境破壊を生む。最近ではネオニコチノイド系農薬の乱用が問題になっていた。また希釈濃度を間違ったり、的確なタイミングでなければどんな農薬でも意味が無くなる。その上農薬を使うという事はコスト高にも繋がる。
農薬を使うというのは、科学的に行われなければいけない。特にタイミングをしっかり見る必要がある。毎日見回る農家などはこの辺りから違う。だが一部の農家では、ここがどうも甘いように思う。
無農薬にも問題がある。まず無農薬でも作れる作物が以外と少ない。次が資材費だ。土から病原菌が移るのを防ぐため地面にはビニールマルチを張り、地上には不織布や寒冷紗でトンネルを作る。一つ一つは安いものだったりするが農業なので面積でかかってくる。また繰り返し利用出来る資材が少ない。毎年コストがかかってくる。この作業の手間も大きい。草取りも面積を考えると途方も無い作業になる。ハウスで徹底的に管理する方法もある。また産地で地域全体が一気に取り組むなども大切だ。
しかし果たしてそこまでコストをかけたのが、消費者が評価してくれるかどうか、判断が難しい。
また無農薬、特に自然農法で育てた野菜が、その病気や昆虫に対するストレスから妨害物質を作るのだが、これは害がないのかどうか議論がある。
完全に安全・安心な作物があるとすれば、植物工場で作られたものだ。完璧に管理出来るからだ。しかし自然じゃないとか、やっぱりお日様の下で育ったもののほうが健康だとか言われてしまう。
実は農業で最大の問題は、消費者の安全・安心神話なのだ。しかし生産者はそれに文句は付けられない。ましてや啓蒙するとかおこがましい。
今年の放射性物質騒ぎとか、生産する農家も相当不安なはずだ。出荷出来るかどうかだけでも不安なのに、買ってくれるかどうかこれも解らなくなっている。
PS
農薬については、流通の規格の問題もある。見た目の問題や、出来るだけ立派に育てる必要がある。流通にとって一番のお得意先は外食産業だ。実はここで規格が問題になる。規格がそろっていないと作業しにくくなるからだ。家庭では関係ないだろうとおもうが、やっぱり袋の中にバラバラなサイズのトマトが入っていたら、同じ重さでも小さいのが入っているとなんとなく損した気になるだろう。人と外食した時も、相手の方が量が多そうに見えたら損した気になるだろう。そういったことも影響している。


農業問題9

2011-09-08 03:38:15 | インポート
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農家の経営状態はどうなっているのか。農業センサス05から図を作ってみた。農産物販売金額規模なので、農業だけで生活しようと思ったら、利益率50%と高めに考えても500万以上の売り上げが無いと無理だろう。
なお1億以上の販売数の農家もいるが、畜産だろうと思う。すごい事だ。
タキイ種苗の出版物、タキイ最前線に「高収益栽培!特産物の村おこし・11」に大カブ作りの例があるが、京都で最高品を400円/kgで出荷した場合で、10aあたりの粗利が60%になっている。しかしこの記事には京都市場の大カブの平均価格があるが、これからやや作りにくいとされる10月下旬から11月上旬の平均価格を150円/kgとすると利益率が35%になってしまう。京都のように千枚漬けを作るために需要がある地域でそうなのだから、後は知るべし。
リアルに農業だけで食べるためには1千万の売り上げが必要になるだろう。それではその人口は、都道府県で116611、率にして6%しかいない。最低限を500万としても13%だ。
逆に販売していない農家というのが12%いる。これは農家の基準、10a以上で耕作し10万円以上を出荷しているというのから完全に外れている。
実際の所、100万以下の農家はどうなんだろうと思う。この割合が59%を占めている。経営改善や新たな施設を投資して、発展出来る可能性の少ない農家なのではないのか。
ただ統計資料の見方は難しい。まず日本の農業が何とかなっているという現実を考えたい。
統計資料に問題が無いのか?という事だ。日本の統計はそうズレが無い物なのだが、農家が自分の販売額と利益率を全員が完璧に把握しているのかという事がある。把握していたとしても産直や直販などで多方面にわたって出荷しているのを把握していないのではないのか?原発保証の問題でも販売額を把握していない農家が見られたが、こういった事が統計をゆがめているのではないのかと思う。
前に年代別農業従事者のグラフを作ったが、この時も不思議に思った。農家である60歳以上の人口が横ばいで一定している事だ。本来ならあり得ないし、実際に農地で見るのは年寄りばっかりだ。
この現象は農業年金制度で説明が出来そうだ。この制度は国民年金に農業従事者だった場合に年金を増額する制度なのだが、これは後継者がいる場合に適用される。法改正され、継続して耕作する第三者がいれば受けられるようになっている。実は耕作放棄の問題はここが大きいと考えている。年金制度は以前の方に比べれば適用が厳しくなったが、以前がかなり緩いので農家はとても厳しく感じるだろう。
でもこの年金の国庫負担率は高い。優遇されている。
この制度でなにが起きているかと言えば、農業から引退した事にして年金をうけ、実態は農業を続けている農家がとても多くなっている。結果統計に大きく影響しているのではないかと思われる。
このあたりを考えると戦後の歴史を考えなければいけない。果たして小作農から自作農に変わった政策は正しかったのか?搾取され無気力に陥った小作が、自作農に変わって意欲を出したために食料生産が進んでコメ余りになったのか?そこに生産を上げる新品種や機械の導入や新しい耕作法の導入を考える余地はないのか?私は農地改革は半分失敗だったのではないのかと思ところがある。手厚い制度があるにもかかわらず、ここまで衰退してきた産業はないだろう。それを単純に産業推移説にゆだねるのはどうかと思う。これは基本的に思い込みだ。
またこのデーターから見えるのは農業政策の難しさだ。例えば米の減反政策がある。意欲がある農家は減反から外してそうでない農家から減反政策をすすめるという、公正な考え方もあった。しかし実際に行われるのは、平等な政策だった。これは販売額の低い農家の人口があまりにも多いからだ。
だが現在では、農業事業として成り立っていない農家を、農家として扱うのは困難になると思う。その上で公正な農政が必要になるのではないかと思う。
PS
農業の後継者問題というのに、農業年金も関わってきている。耕作放棄もムダな土地が出来ているという問題より、優遇政策でお金をかけているのに耕作放棄が起きるところが問題だ。