どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

またしても宮古

2014-12-05 21:19:15 | 日記

 

またしても仕事で宮古にいます。盛岡と近くなったとはいえ、やはり最低2時間半かかる土地です。一泊しました。

夜は居酒屋で、でも変わった店でしたね。熊汁を食べました。あとエゾシカの刺身か。ドンコの刺身肝巻という珍味も頂きました。これはエゾアイナメの刺身を肝で巻いたもの、なんですが鮮度がよくないといけないもの。産地で食べる物です。

メニューにはサクラ・ボタン鍋があります。そしてカレーライスがあります。そしてギョウジャニンニクラーメンがあります。焼き鳥もあります。さてそれでいて作りは割烹ですね。しかも大型店。カウンターが前と奥にあるから、二人板前がいたと思います。もしくは奥には看板娘がいたのかもしれません。本人は魚がウリだと言っていましたが、多分そうだろうと思うのですが扱っている品目に肉が多くて、エゾシカとクマは天然ですからある意味ジビエ料理店ですね。牛筋の煮込みは和風なのですが、野菜と合わさってデミグラスソースの奥行きがあります。丁寧な処理をしているのでしょう。熊汁もそうでした。うまみを丁寧に引き出していました。牛筋煮込みの元を使ってカレーも作っていると言う事で、真面目に凝った事をしている店の様です。

ホルモン鍋が面白かったです。ジンギスカン鍋でキャベツとホルモンを焼くのですが、出汁に貝の何かを使っている様です。ホタテパウダーかな?とも思いますが、そこは企業秘密な様です。

イロイロ良くわからない所がありますが、丁寧な仕事をしている店の様です。古都利という店でした。

 

 

宮古と言うのはちょっと不思議な土地でして、三陸沿岸で屈指の港でした。そのため北前船から京文化が入ったと言われていますが、それではそれ以外の大船渡とか気仙沼に京文化があるかと言えばどうなのかなと思う所があります。避難港として山田町もありますがそこまで考えれば京文化と言うのは言い過ぎなきもします。

ただ今回もしかするとと思うのは、宮古の商人の文化に独特の物がある、と言う事でしょう。特に男がとても丁寧で腰が低いのですが、何かが違う人たちがいます。結論はだせませんが、裏に強烈なプライドがあるようなので要注意です。

歴史的にみれば南部藩の沿岸の物資の集積地は岩泉でした。これは街道の整備の問題です。それが山田線開通後逆転して宮古周辺の沿岸地域の物資集積地になるのですが、立場が変わっても、対応は変えなかったのかもしれません。ラサ工業が宮古に工場をつくたりして工業人口も持っていた訳です。

その前に港そのものの歴史は有史以前からだと思われる良港です。鎌倉期の閉伊氏の領地でもありました。そういった別文化があるのかもしれません。

 

 

ということで早朝から仕事をしています。かなり珍しい事です。しかも山奥、野生動物の撮影ではありません。またしても特殊重機の撮影です。この仕事、奥が深いです。

ということで一日中山の中にいました。

 

 

宮古の商店には、少し大きめなクリスマスイルミネーションが飾られていました。一軒一軒それぞれ飾っているのをみているうちに、クリアスマスと言うよりお盆のような、なにかそういった錯覚を覚えました。震災から3度目のクリスマスです。落ち着いて街を飾るようになりましたが、少し悲しさを感じるのは私だけでしょうか。

まあクリスマスの献灯と言うのもまた摩訶不思議な物です。暗闇を照らしてくださったキリストの生誕を祝う時に、なぜろうそくの炎を分け与えるのか、炎の中になにを見いだすのか、わかりません。ただ炎には人の心に何かを働きかけます。それがこうやって電飾になり、LEDに置き換わって不明瞭になっても、なにかがそこにある訳で、それが薄っらと見えてくるのでしょうか。

キリストの聖誕祭はキリストの死と復活の日から算出された物です。死んだ日は受胎した日と同じであるから、それは冬の当たりだということで、12月25日から1月6日までの幅がある訳です。

そうクリスマスとはキリストを地に置かれた神への感謝の日ですが、同時にキリストの死を思う日でもある。

とムリヤリこじつけてみました。クリスマスのイルミネーションに死者に思いを馳せても、不思議ではないと。

 

 

宮古から盛岡に帰ります。北上山地に遮られてここは快晴だったのですが、山に入ると雪がどんどん強くなって行きます。区界峠では−5度です。盛岡市内にもう少しと言う所で事故が起きました。あわや釘付けと思われましたが、まあなんとか帰って来れました。

そして、ロックライブの撮影もして一日が終わった訳です。耳の調子が悪いです。